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富士山の向こうに
SA350064001.jpg
昨日の朝、雨上がりでホコリが沈んで、富士山がよく見えました。


この富士山を見て思い出したのが、北斎の「神奈川沖波裏」。


hokusai.jpg


これについての赤瀬川原平さんの文章が、中学校の教科書で載っています。


画の手前で、大波の前に飲み込まれそうになっている船と、その上で祈るようにしてうずくまっている人々について触れ、人間の無力さと、富士山に代表される超絶した自然、みたいな内容が書いてあったかと思います。


富士山は、次の瞬間どうなるか分からない人間の生き様を、じっと見つめている。
これは私の感覚ですが、そのときの富士山って、「冷厳」という感じではないです。
厳しさはありつつも、どこか「見守っている」という感じがする。


思うに、人間は数々の「業」の中で生きていて、さまざまな煩悩や因縁に引きずられて、思うように生きられないものなのではないか。また、肉体に縛られ、経済活動やお金に翻弄され、人間関係に悩まされ、なんとも不自由な存在でもある。


一生は、それらの「業」との戦いになるのかもしれず、なかなか思うに任せないのかもしれないけど、それでも仕方がない。いや、それでいいのではないか。思うようにいかない現実の中で、ひたむきに生きることがすばらしいのではないか。


どんなに船を漕いだとしても、大波はどうしようもありません。自然の成り行きに任せるしかない。でも、そこで自暴自棄になってしまうのではなく、運命に身を任せつつも、最善を尽くす努力が尊いのではないか。


人間には数々の「業」があって、どうしようもなくバカなことをやってしまったり、悪事を働いたり、人を傷つけたりしてしまうものなのでしょう。でも、その中で、善く生きること、愛すること、向上心を持って生きることが、生きようとすることが、価値のあることのように思います。


そうやって生きていく内に、さんざん煩わされていた「業」に振り回されなくなり、平和な日々が訪れてくるように思うのです。


そのとき、「富士山」が、実は支えであったことに気づくことができるのかもしれませんね。
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【2009/04/16 11:16 】 | 未分類 | トラックバック(0) | page top↑
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