スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:-- 】 | スポンサー広告 | page top↑
『悼む人』天童荒太
c58cfa8fb431a036.jpg


人から勧められて読んでみた。とてもいい本を紹介してもらった。傑作である。


主人公の静人は新聞や雑誌などから故人のことを知ると、その現場に行き、「(故人は)誰を愛し、また誰から愛され、どんなことで感謝されたのか」を近くの人に尋ねて回る。変人扱いはいつものこと。中には怒り出す人も。しかし、たまに故人のことを積極的に話してくれる人もいる。


静人は、故人がどれだけひどい人間だったか、あるいは無念な死だったか、というようなことには関心を向けない。あくまでも、先の3点のみを聞き込み、その人が確かに生きていたことを胸に刻み込む「悼み」の儀式を行う。


彼の家族の関わりや、その旅先で出会った人たちとの関わりが展開していくのだが、その途中で何回も泣いた。主に電車の中で読むので困った。何度正面の人に「ガン見」されただろう(笑)


この物語を通して、天童さんが訴えたいことが痛いほど伝わってきた。


先日、私が乗っていた電車が事故に遭った。カンカンカンとなにかにぶつかる音がして、電車は止まった。外を車掌が走っている。なんだろう?と外を見る人もいたが、多くは携帯をいじるか、音楽を聴いているか、本を読むか、寝ているかしていて、「我関せず」の態度を貫き通していた。


心の中でどう思っていたかはもちろん分からないが、「ふざけんなよ! 事故? 超迷惑なんだけど」っていうところなんだろう。暗澹とした気持ちになった。


今、この瞬間に一人の人が亡くなった。
しかも、電車に飛び込むくらいだから、いろんなものを背負っていたのだろう。
それこそ「迷惑」なんて考えられなくなるくらい。
そして「迷惑」としか思われず、無関心で、次の日にはなにもなかったかのように回っていく社会。
これは絶対におかしい。


だからと言って自分になにかできることでもない。その人を救えたわけでもない。
でも、その人の死を「痛く」思うことはあってもいいのではないか。
そして、自分が生きているという現実の中で、生きて関わっている人の「痛み」から、ニュースなどで流れてくる事故や事件の「痛み」まで、無視してはいけないのではないか。
そうして自分の生き方を方向付けていくことしかできないかもしれないけど、そうやっていかないと、この社会は無数の人の命を奪い続けていくのではないか。傷つけ続けていくのではないか。


故意にせよ故意でないにせよ、人は誰かを傷つけながら生きていく。
そこで責められ、自己嫌悪に陥りながら、気がついていくしかない。


静人のように、「忘れない」という愛もある。
傷つけながら、「傷つけまい」という愛もある。
人はそういう愛を欲して生きているのだろう。
その愛を与えられる側としても、そしてもしかしたら与える側としても。
スポンサーサイト
【2009/04/13 13:36 】 | 読書日記 | トラックバック(0) | page top↑
トラックバック
| home |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。