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2012年の足音②
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これからの時代、どうなっていくのだろうか?

おそらく、大きく物事が変わっていく時代になる。

もう、変わり始めている。


この変革期に際して、どのように「生き残る」のか。

そのようなタイトルの本も珍しくない。

しかし、それはナンセンスである。


たしかに、かなり人口は減るかもしれない。

そこで、どのように「生き残り」をかけるのか、模索することも分からないではない。

ところが、これからの時代は、このような「生き残る」という考え方や発想そのものからの転換が行われるだろう。


というのは、人類は今までこの「生き残る」ということに狂奔して生き延びてきた。

あるときは他人を押しのけ、蹴落とし、生存競争に明け暮れてきた。

いわば、弱肉強食の世界。

しかし、このゲームはもうすぐ終わりを告げる。


「生き残る」ことは、人間というシステム上、できないことになっている。

遅かれ早かれ、必ずこの世は去ることになっている。

だから、運良く天災や人災から免れたとしても、いつか死は訪れることになっている。


そうすると、「生き残る」ことではなく、いかに「今を生きる」のか、ということでしかない。

いつ死ぬか。

それは誰にも予見できない。

ただ、確実に「それ」はやってくる。

だとすれば、いつ「その時」がやってきてもいいように、毎日毎日をどのように悔いなく過ごしていけるのか、ということでしかない。


もちろん、人生の先のことに備えて貯金したり、計画したりすることは大切である。

しかし、予定通りに進んでいくという保証はなにもない。

人生80年を想定して生きていくことと同時に、一方で、いつ死んでもいい、と言えるような、「今を生きる」生き方が大切だと思う。


そして、この世で生きることの意味をつかむことができたのなら、「今を生きる」ことの大切さは否応なく胸に迫ってくる。

究極的に、「死」は存在しない。

常に永遠の「生」しかない。

ただ、その「生」の状態をして、「死」と表現せざるを得ない局面もある。

しかし、それは一時的な姿、相に過ぎない。

なぜなら、「諸行無常」、つまり、常に変化し続けていくのが「生」の姿であるのだから。


そして、その場合の「死」とは、恨みや憎しみ、ねたみ、不信、自責の念など、否定的な観念や感情に囚われている状態のことを指している。

しかし、やがてはそこからも解き放たれていく。

それが「生」のありようだから。


自分の行いは、やがて自分に返ってくる。

そのことに気付くとき、利己的な生き方は終わる。

突き詰めて考えると、自分も他人も隔てはなくなる。

ジョセフ・マーフィー博士は、「あなたは、あなたの世界における唯一の思考者です」という。

だから、自分に対しても、人に対しても、世界に対しても、どのように考え、行動していくのかが問われることになる。

利他=利己。

ここにおいてすでに「他」も「己」もなく、ただ「愛」「慈悲」という動機と目的しか存在しなくなる。

そして、そこに喜びも平安もある。


ようやくこの暗闇の世界の夜が明ける。

一人一人の心の世界に、シャッターの閉まった窓がある。

まだ寝室は暗い。

しかし、シャッターの隙間から、光があふれて入ってきている。

ぼんやりと朝が来たように感じている。

今はそんな時代なんだと思います。


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【2008/10/26 22:11 】 | 宗教&スピリチュアル | トラックバック(0) | page top↑
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