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井上靖『孔子』(新潮社/1989年)
読書日記をアップしていこうと思います。

今、通勤読書しているのは、井上靖さんの『孔子』です。書きたいことが山とあるので、何回かに分けて書こうかと思います。

孔子といえば、言うまでもなく中国は戦国時代のあまりにも有名な思想家・政治家ですね。聖人君子の代表的なイメージかもしれません。

論語の何節かは、今でも私の中に生き続けています。
とりあえずすぐ出てくるのは、「徳孤ならず、必ず隣有り」という言葉です。人間関係の不器用な私は、関係がうまくいかなかったり孤独だったりするときに、この言葉を思い出すことがあります。苦境にあるときでも、誠実さや思いやりを大切にしていれば、決して孤独に陥ることはないのだと勝手に解釈しています。我が道を歩んでいこうと勇気を与えてくれます。

話を戻しますが、聖人君子のイメージって、私の場合どこか人間離れしていました。のっぺりとした印象、と言いましょうか。およそ感情的ではない人物のイメージ。
ところが、正反対だったんですね。小説の中に、こんな一幕があります。

孔子の弟子の子路が、負函という町の長官、葉公に引見します。そのとき葉公に孔子の人となりを尋ねられたのですが、突然の質問に子路は答えられません。その話を師の孔子のしたとき、孔子は答えます。

「-どうして子路よ、お前さんは言わなかったのか。このように言ってくれれば、よかったではないか。
 子はちょっと顔を和らげて、
-その人となりや、憤りを発して食を忘れ、楽しんで以て憂いを忘れ、老いのまさに至らんとするを知らざるのみ。
 それから、少し間を置いて、
-余はまさしくこうした人間である。これ以上の人間でもなければ、これ以下の人間でもない。そうではないか、いつも憤りを発して食を忘れる。楽しんで憂いを忘れる。そして、いい気なものだが、老いのまさに至らんとするのを知らない。」(87-88ページ)


ある意味、かなり人間くさい人だったんだな、と。のっぺりどころか、かなり感情的もいいところだな、と。親近感が湧きました。

まあ、よく考えれば当たり前なんですけどね。なに考えているか分からないような人を信用することってないですからね。信望の篤い方だったようですから。奥深さもあったでしょうが、一面わかりやすさというのもあったのではないでしょうか。シンプルに、人としての信頼感みたいなものがあった人なのではないかと思います。
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【2005/11/26 13:07 】 | 読書日記 | コメント(0) | トラックバック(1) | page top↑
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