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航海日記③
このところ急に寒くなりました。いよいよ秋ですね。

さて、航海日記最終回です。

函館に降り立った私は、市電に乗って函館駅まで行き、荷物を預けて飛行機が出発するまでの間、市内をぶらぶらと出歩くことにしました。

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函館は、数年前に生徒の引率で来たことがあります。懐かしく感じました。

今回、函館に来るにあたって、司馬さんの『燃えよ剣』『北海道の諸道―街道をゆく⑮』を読んできていました。
以前、生徒の引率で来たときに、赤レンガ倉庫周辺をうろうろしていたら、「北方歴史史料館」という建物を見つけてたまたま中に入ったことがありました。恥ずかしながらそのとき初めて高田屋嘉兵衛という人を知ったのです。そのことがきっかけで、ある人から以前いただいた本の中に『菜の花の沖』が自宅あるのを思い出して読んだのですが、これが大変感動モノだった。司馬さんが町人を主人公に据えるのは珍しいかもしれません。

高田屋嘉兵衛。明和6年(1769)、淡路島に生まれる。
貧しい家庭に生まれてかなり苦労した人のようです。しかし、不屈で明るい人だったみたいですね。かなりの努力家で、少ないチャンスを次々とモノしていき、いよいよ自分で船を持ち独立。手堅い商取引と鋭敏な商売センスで信用を得、たちまち高田屋は大きくなっていきます。
日本は鎖国体制の中平和を謳歌していましたが、この時代、世界史は大きく変わろうとしていました。西欧列強がアジアに侵略の手を伸ばしてきていたのです。
とりわけ、日本の北方ではロシアが顔を出すようになってくる。ロシア人の北方諸島での略奪行為に警戒感を強めていた幕府は、国後島で測量していたロシア海軍少佐ゴローニンを捕縛。それが文化8年(1811)のこと。
報復としてロシアは、択捉島近海の漁場の視察に訪れていた高田屋嘉兵衛一行を拿捕。カムチャッカに連行されてしまいます。この危機を、嘉兵衛はいかに脱却するのか……? とまあ、『菜の花の沖』ではその辺が詳しく語られているわけです。この物語では、嘉兵衛という人の行動力や不屈の精神、機略、思いやりなどが余すことなく語られていて、司馬さんの作品の中では、もっとも好きな作品の一つになっています。

さて、今回函館に行くことになって、『燃えよ剣』の主人公、土方歳三サンと嘉兵衛サンとどちらの史跡に行こうか迷いました。

土方さんの話もたいへんおもしろい。しかし、彼は私からすると修羅というのでしょうか、とても血腥い方なんですね。人間的な魅力としては、やはり嘉兵衛さんかと。そこで、土方さんの史跡は次回に回して、今回は嘉兵衛さんの史跡を再度まわることにしました。

市電「十字街」駅を降りてまず北方歴史史料館へ。

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海王丸で一緒だった研修生の方と偶然出くわしましたが(笑)
それから「日本初のコンクリート電柱」の脇を通って、赤レンガ倉庫街にある函館高田屋嘉兵衛資料館へ。

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行く途中で変わったアンパン屋さんを発見!

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改めて嘉兵衛という人のことを考えてきました。

嘉兵衛さんという人は、彼を捕まえたリコルドというロシア人をして敬服せしめるほどの方だったようですね。物語や史料を見ると、とても責任感の強い人物だったように思います。もともと胆力はあった人だと思いますが、その根には、責任感という人としての誠実さややさしさがあったのではないか。優れた船頭には不可欠の特質かもしれません。

また彼には、無私の精神が濃厚にあったようですね。アイヌの人々のために尽力しましたが、自らが捕らえられると、今度は日本のために身を投げ出します。大きな仕事をする人には、共通の特質かもしれません。

それにしても、司馬さんという人は、日本の歴史に埋もれていた傑出した人物を掘り起こすのが上手な方ですね。彼によって日本史は相当豊かになったと思います。

司馬さんの本によって、日本史というものが、無私に徹した人物によって担われてきた側面があることを知りました。しかも司馬さんが本に書くまで埋もれていた人も多いとのこと。日本の歴史とまでは行かなくても、日常の場で、たとえば家族や友人、職場において、無私の精神で臨むことが、ときとして大きな働きをすることがあると思うのです。

それは、相手に唯々諾々と従うことのみを意味しません。ときには捨て身になって相手に諫言することも含まれるでしょう。司馬さんは決してこんな言葉を使いませんが、私からすれば、それは「大乗心」だと思うのです。ともかく司馬さんは、そういう人間のありようというのを親しみをもって描いている(と思う)。

資料館に寄った後地ビールを飲み、おみやげを買って一路東京へ。

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下の写真は海王丸に同乗した研修生の方から教えてもらった市場です。そこが安くてよいとのこと。ご紹介いただきありがとうございました。

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函館を去るにあたって、なんか寂しいものがありましたね。なにが寂しかったのか、よく分からないんです。もっともらしい理由が次々に浮かんではくるものの、どれもはずれではないがあたりでもない。函館に感じる郷愁というのは言いようがないものでした。とても好きな街です。また行きたいですね。


海王丸には後日譚があります。その後海王丸は函館を出航し、8月に横浜港に碇泊するという情報を入手。行きましたね~。子どもを連れて。やってくれました、登檣礼。実習生の「ごっきげんよ~う!」三唱と共に、海王丸の美しい姿は、太平洋の彼方に向かって旅立っていきました。サイパンに行くのだそうです。海の貴婦人、海王丸。乗船できたひと時を決して忘れることはないでしょう。

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【2006/10/25 00:41 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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