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航海日記①
かなり久しぶりの更新になりました。
ここ1,2ヶ月の忙しさは筆舌にし難いものがあり、書きたいことは山ほどあるのですが、なかなか更新できずにいました。この忙しさはしばらく続くと思いますが、時間をつくって少しずつ更新していこうと思います。

『ねじまき鳥』はちょっと一回お休みして、先日参加した海王丸の体験航海について、次回、次々回に分けて書いていこうと思います。

日本を代表する帆船の一つ、海王丸に「研修生」として先日乗船してきました。富山港から函館港まで、船中で3泊4日の行程です。

朝9時までに乗船しなければならなかったので、前日に富山県の高岡市に入り1泊。私知らなかったのですが、高岡大仏さんというのがあったんですね。阿弥陀さんでした。

高岡大仏


高岡という所は、私は行くまで知らなかったのですが、いわば越中国(富山県)の古都だったんですね。古くは万葉集で知られる大伴家持が国司として着任したのが、高岡の伏木という港町。国分寺や国庁の跡があるんです。残念だったのは、高岡に着いたのが休日明けの火曜日だったこと。博物館が軒並みお休みでした(涙) 「高岡市万葉歴史館」は行ってみたかったのですが、また今度ですね。

国宝の瑞龍寺も高岡にはあるのですが、勝興寺の方に行きました。越中国の代表的な浄土真宗の寺院です。戦国時代には越中国の一揆勢力の本山だったようです。勝興寺は1584年に越中国庁だった現在地に移転するのですが、寺内町っていうんですかね、そのただずまいは独特でした。

20060731002831.jpg


雨が強く降る日で、参詣客は私しかいなかったのですが、勝興寺には案内のボランティアの方がいて、興味深いことをいろいろと教えてくださいました。

その一つは、本堂を支える太い柱が並んでいるのですが、その一本がいわゆる逆さ柱になっているんですね。その位置を、どうも風水に従って指定したのではないか、とその方はおっしゃるのです。逆さ柱のみならず、門や池の位置なども、どうもそうではないか、と。

真宗では親鸞さん以来、土俗迷信の類は一切排除するという阿弥陀さん原理主義みたいなところがあるのですが、その方針からすると風水は気にしないはずなんです。でも、その方がおっしゃるには、宮大工たちは旧来の伝統を排除し切れなかったのではないか、いうことでした。

勝興寺にはこの逆さ柱の他に6つの「不思議」があるようで、あわせて勝興寺の七不思議というそうです。「天から降った石」とか「三葉の松」なんていうのもその中にあったりして、まあ、どこか不思議な空間でしたね。ある種の「気」を感じました。

高岡大仏近くの旅館に泊まったのですが、老舗の旅館みたいで、2階の宿泊室にはなんと私一人だけ。こりゃあかなわんなと酔っ払って早々に寝ました(笑) 料理はおいしかったですけどね。

ともあれ、こうして高岡の1日は過ぎました。


さて、ちょっと気になることがありまして。
なかなか身動きが取れなくなっている若い友人がいるようなので。

何事にも気力が湧かなくなる、ということはよくあること。
重荷を背負わずして生きていける人なんていないと思います。
所詮自分ひとりでできることなんて、本当に限られているものでしょう。なにかに「なる」必要もなく、「ならねばならぬ」ことなんてないと思います。

世間はあまりにもせわしなく動いています。でも世間というのはうつろいやすいもの。だれしもが不安を抱えて翻弄されながら生きているものでしょう。

自分は何者なのかという問いは、苦しくて大事な問いですね。一生それを問い続けて、そして少しだけ明らかになることもあるかもしれません。

大事なことは、自分が善なる存在であること、愛され必要とされているということ。あなたの力を必要としている人がたくさんいるということ。それを受け入れるだけでいいということ。そのような自分を実現させていくために、自分を高めていくということ。

絶対的に信頼しうる「ベース」あるいはその世界、存在に委ねつつ、今の状況を受け入れていくだけでいいのでしょう。その状況を引き受けて生きていくだけで、十分でしょう。

信じることで力が湧いてくるもの。信じて自分のやれることを、やれる範囲でやっていけば、それ以上は必要ない。

己を見つめていくのは、とても勇気が要る。見たくないものはだれだって見たくない。ケンカに強くても頭がよくても、自分に向き合えない限り強くて賢いとは言えない。人には勝てなくてもいいから、自分に向き合っていくことは必要。絶望することはない。必ず救いもあるものだし、状況も改善していくもの。

自分を振り返っても責める必要もなく、これからどうしていけばいいのか考えて取り組んでいくだけ。今日の1日は新しい1日。昨日の自分とは違う。

自分のなにを信じればいい? 永遠の存在だ、ということ。未知の可能性、力、愛、気高いもの、智慧が、自分の中にある。一生なんて、それをちょっと開発していくだけ。だから、今日やれることに最善をつくしていれば、それで十分。

気力がないときは、休んでくださいな。
もし力が湧いてきたら、その気力を萎えさせてしまうものというのは、実はたいしたことはないということを知って欲しい。自分の思い込みに過ぎないかもしれない。世の中不自由そうに見えて意外に自由。環境や経験は原因ではなく結果だということを忘れずに。自分の人生を変えていく力があるんだよ。

船は自分しだいで右にも左にも行く。
嵐のときは港で休み、風がなければ風が吹くまで待てばいい。風が吹いたら帆を揚げて走ればいい。風はいつか吹いてくる。今まで風が吹かない日なんてなかっただろ? 風が吹いたらすぐ走り出せるように、掃除したり整備したりしていればいいのさ。みんなが同じ走り方をするわけじゃない。自分の船の特徴を知って、自分なりの走り方をすればいいんだよ。目的は幸せになることなんだから。

そんな風に俺は思っているけどね。
また話しようぜ。

20060731013827.jpg

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【2006/07/31 00:12 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
8月6日、合掌。 | ホーム | 村上春樹 『ねじまき鳥クロニクル⑤』
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