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タラバガニ
今日、新宿でタラバガニをメインに使った和食のコースをいただきました。歌舞伎町の辺りはかなり混雑していて、あいかわらずの新宿の風景だなと思いました。どちらかと言うと、こういう繁華街は苦手な方です。

Sさんのご友人のOさんと初めてお会いしました。
雰囲気の似ていらっしゃるお二人でした。きっとご縁が深いのでしょうね。ソウルメイトと言っても過言ではないように思いました。

今日の午後、評論家の芹沢俊介さんのお話を聞く機会がありました。
おおむね共感して拝聴させていただきました。ウィニコットからの引用ということですが、「being」の重要性というものについては、仕事柄あらためて再確認いたしました。

「being」というのは、ありのままを認める、受け止めるということなのだそうです。その重要さは分かりながら、なかなかそうできない日常というのが現実ですね。私にとっては。ついつい人に期待しては押しつけたり、頭に来たり、幻滅したりしています。

ありのままを認めてほしい、受け止めてほしいという欲求は、多かれ少なかれだれしも持つものだと思うのですが、どこかでそれを人に求めることはできないのだ、してはいけないのだ、という感覚もあるので、私は複雑な心境です。私自身としては、なるべく寛容にいろんな人を受け止めていけるような人間になりたい、と狭量ながら思うのですが。矛盾しているんですけどね。

100%理解し受け止めてくれる人はいないのだ、という孤独。ひねくれず、スネずに、かえって私以外のだれかの孤独を共感していく方向に昇華していけないだろうか―。そんな青臭いことを夢想しています。

また、深い共感というものは、どこかでモノ言わぬ他者との間でこそ成り立ちうるのではないかとも思っています。ちょっとオーバーな言い方ですが。たとえばそれは植物だったり、動物だったり、森の中だったり、白波立つ海だったり、小さい子どもだったり。世間にどっぷり浸かってしまった大人が「being」を体現して与えてくれるというのは、どうにも想像ができないのです。

もしかしたら、私の「being」の解釈がズレているのではないか、という危惧もあります。しかし、この(手の)言葉というのは、はたしてどこまで互いの認識が共通しているのかという判定が、たいへん難しいように思います。お互い解釈が違っているのにもかかわらず、共通しているものと思い込んで会話しちゃうなんて危険性もありますよね。

しかし、その共通認識を言葉で定義していくことは不可能だと思います。それこそモノ言わぬコミュニケーションの中でこそ伝達可能なキーワードなのかもしれません。お互いが目を合わせた瞬間に伝わってくる、そのときの感覚なんかに潜んでいるかもしれません。

眠れなくなりそうな予感がしてきました。
CDでも聞きながら寝る準備に入りますzzz
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【2005/11/20 00:36 】 | 未分類 | コメント(2) | トラックバック(0) | page top↑
もうすぐ34歳! | ホーム | 船の汽笛に寄せて
コメント
--読みました--
読ませて頂きました。

私は昔は
人のありのままを認めたい・受け止めたい
などと思っていました。
でも今は
人をありのままを認める・受け止めるというのは無理だし、
そのようなことはしなくてもいいと
思っています。

もしかしたら、多くの人は
母親が子どもを深く愛するように
自分の存在を愛して欲しい
そういう気持ちが
『ありのままの自分を受け止めて欲しい』
という気持ちに繋がっているのかもしれない。

でも自分は母親じゃないし
相手だって母親じゃないし
そもそも母親だって
そんな気持ちにならない人もいる。
そういう母親もいっぱいいる。

だから人のああいうところが嫌だって
思っていいし、
相手のありのままを
認めなくていいと思う。

でもごくごくまれに
相手のああいうところも
ああいうところも嫌だけれども、
でもそれでもやっぱり相手の根本は
大好きでたまらない
という気持ちになる時がある。

そういう気持ちが、もしかしたら
結局は相手の存在を
深く愛するというところに
つながっているのかもしれない。

そしてそういう気持ちを
ごくごくまれにもらうこともあって
そんな時は奇跡のようで
例え一瞬でも、孤独から救われる思いです。
by:sisi | URL | #APhHLo6M【2005/11/30 21:05】 [ 編集] | page top↑
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なるほど…。
本能的に人は「母性愛」=「無条件の愛」みたいなものを求めてしまうのでしょうか。
「相手の根本は大好きでたまらない」かあ。
sisiさんの言うように、それが深く愛するということかもしれませんね。寂しいことだけれども、たしかに「まれ」でしょうね…。しかしそこで感じられる嬉しさというのもまた、深いもののような気がします。そういう人間関係があるというのは、とても稀有で幸せなことなのでしょうね。
by:観音寺 弘明 | URL | #-【2005/12/01 23:50】 [ 編集] | page top↑
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