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怨憎会苦(おんぞうえく)
PC復旧せず、相変わらずコソコソと職場で更新しています(笑)

朝、すし詰めの電車の中で、例の『江原啓之への質問状』を読んでいて、ふと納得した一節。


「江原:(人間関係で)嫌だなと思う理由は二つあって、(中略)一つは自分と似ている嫌な部分を相手の中に見た場合。そしてもう一つは自分のトラウマを突く人だという場合もあるんです」
「江原:(中略)どうして膿出し針を持った人と出会ったのかといえば、嫌な自分と向き合って悔い改める必要があるからなんですよ」(160~161ページ)


ふーん、なるほど。生まれてこのかた、人間関係で苦労しなかったことはないですねえ。どうしてこんなに苦しいんだろう…。「怨憎会苦」って言うんですかね。

でも、確かに自分の問題だということは分かります。相手の問題というより、自分の受け止め方、接し方の問題。

とはいえ、「自分の嫌な部分」を映し出す相手、「膿出し針を持った人」とつきあっていくのって、つらいですよね~。なにがつらいって、自分のウィークポイントと向き合わされる苦痛っていうのは相当なものですよね。

厄介なことは、向き合いたくないから一時的に避難できたとしても、結局は逃げられないということ。いつかは向き合わなくてはならない。それならば、腹を括って向き合っていくしかありません。身近な人間関係というのは、お互いに傷つけ合いつつ一緒に生きていくしかないのですね。まあ、当たり前のことですが。

だれだって傷つけたくないけど傷つけてしまうし、傷つきたくないけど傷ついてしまう。難しいものですね。

そのことで離ればなれになっていってしまう関係もありますが、それでもつきあっていく、いこうとする関係もあるわけで。そこに成長も友情も成り立つものかもしれません。

どんな傷でもやがては癒えていき、糧にしていけるのでしょうね。

そのプロセスは遅々としたものかもしれませんが、時が経っていくことのありがたさを思わずにはいられません。


どうか、許し難きを許し、愛し難きを愛せる寛い心を持てますように。
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【2006/01/13 13:54 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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