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人生の終わりの時・その8
昨日の夜、久しぶりに弟に会いました。
1年ぶりくらいかな? 体調悪そうだったけど、充実してそうでなにより。学生生活を謳歌してください。

さて、「その6」で雄馬君がまた難しそうなコメントを入れてくれたので、どうしようかというところです。「自分を信じる」かあ。これは後回しだなあ~。簡単にはコメントできない話題だからさ。

そうそう、この「人生の終わりの時」シリーズ(?)は、HBKさんとのやりとりの中で、「厳しい審判」という言葉を説明したくて、始めたのです。どういう意味で使っているのかっていうのを、聞いてほしくてね。今の自分の考え方の根幹にあるものなので、意見も聞いてみたいと思っています。


前回の続き。
ロン・チェスターという服役者の話でしたね。自分のした行為を、被害者の立場から振り返ってみようとしたときに、意識が違う世界に飛んで行っちゃった。長い引用になります。

「逃走生活(別の罪で逃げていた:引用者註)」が十ヶ月ばかり続いていたとき、『口止め料をよこせ。よこさないとお前を警察に突き出すぞ!』という男がいて、そいつを殺してしまったわけです。逮捕された後、わたしはなぜあんなに残酷に人が殺せたのか、自問しはじめました。わたしの潜在意識の中に、何か人を殺したいというような隠された欲求があるのだろうか。わたしが子供時代から引きずっている何か心理的な重荷があって、それが爆発的な攻撃衝動となって現れるというようなことがあるのだろうか。
 被害者の男に味わわせた恐怖のことを考えると、わたしは息苦しくなり喉がつまりました。わたしは男をおどしたりはせず、静かな口調で冷ややかに男に質問し、男が答え終わるのを待って狙いを定めて撃ったのです。そのとき男に味わわせた苦痛を自分に味わわせたいと思いました。そうすれば、少しでも男の謝罪と罪滅ぼしになるだろうと思ったのです。
 射殺場面に焦点を絞り、森の中でショットガンを突きつけられたのは、自分であると想像しました。引き金が引かれ、銃弾が自分の体に入ってくるのを感じたとき、何か不思議なことが起こりはじめたのを感じました。自分でもコントロールできない妙な感覚が押しよせてきました。何か知らない不思議な力が働き始めたのをはっきり認識して、思わず後ずさりしました。この“何か知らないもの”に身を委ねるべきか、それともそれから逃げ出すべきか迷いました。
 わたしは結局、その何か知らないものに従うことを選びました。何もかも捨てて、わたしはその力に身を完全に委ねました。体がぞくぞくする感覚があって、わたしは意識の極限まで持っていかれるかんじがしました。いつのまにかわたしは、瞑想をはじめていました。不思議な感じが戻ってきて、すばらしい体験の中に引きこまれていきました。目を閉じているのに、目の前には見たこともない世界が広がっていました。
『見よ、そして学べ』という声が聞こえました。私の体は臨終の苦しみの中にあるかのように身もだえしはじめました。しかし苦痛はなく、ただしびれたような動きの感覚があるだけでした。今度はわたしの体がガタガタ震えだし、急激な動きの感覚がありました。自分が猛烈なスピードで何かに向かって突進しているのだということがわかりました。宇宙に向かって吸い込まれていくような感覚でした」(270~271ページ)


長くなるので、今回はこれくらいにしておきましょうか。
この後もチェスターの異次元体験は続きます。その世界で、彼はどんな
体験をしたのでしょうか。次回以降に書きます。


ところで、最近アメリカのカリフォルニア州で、ある死刑が実行されました。凶悪犯罪を犯した人間で、死刑判決が出ていたのですが、獄中で改心して更生活動を展開していた人物のようです。そのため、無期懲役に減刑するよう住民運動も起きていたのですが、A・シュワルツェネッガー知事は、死刑にすることを最終的に許可したそうです。

この判断を、私は残念に思いました。
凶悪犯罪を犯した人間に対して、「死刑だ!」と思う感情は分かります。私の大切な人が殺されたりでもしたら、犯人を私は殺そうとするかもしれません。自制できる自信はありません。
しかし…たとえ犯人が死刑になったとしても、私は嬉しくありません。それで大切な人が生き返るわけではありませんし、死刑になったらそれでおしまいではありませんか。
それよりも、一生監獄にいて、自分の行為を深く深く懺悔してほしいです。そして、残された自分の人生の時間の中で、なにができるのかよく考えて、行動してほしい。できれば自分と同じような犯罪者が二度と社会に出てこないよう、更生や啓発に努めてほしい。それがせめてもの慰めです。

凶悪犯罪を犯した人間の言葉や生い立ちを報道などで知るたびに、暗黒の孤独の闇を感じます。その犯罪行為そのものは、厳しく弾劾されていいでしょう。しかし、責任を犯罪者一人に押しつけるのは酷だと思います。彼を孤独の淵に追いやってきた周りの人間関係、社会があります。そこを変えていかない限り、第二、第三の凶悪犯罪者はまた出現してくるでしょう。

犯罪(者)にどう対応していくか、ということで、その社会の成熟度が分かります。死刑を濫発している国もありますが、社会としての成熟度がかなり低いと言わざるを得ません。犯罪(者)というマイナスをプラスに変えていける社会こそが、成熟した社会だと思います。

私自身が、どれだけ身近な世界で「孤独ではない」関係を築いていけるのか。問われています。

殺伐とした話題になりました。
のんびりとした写真をアップしてみました。

DH000038.jpg

稲村ガ崎の交差点(2004)
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【2005/12/22 22:29 】 | 未分類 | コメント(3) | トラックバック(0) | page top↑
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コメント
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シュワルツェネッガーが死刑を許可したニュースは僕も残念に思いました、ニュースなどマスコミの意見を聞いてると、犯罪者は自分達とは違う生き物、得体のしれない化け物みたいな言い方してるけど、僕達だって状況が変われば、いつ同じ犯罪者になってもおかしくないはず。逆にどんなに大きな過ちを犯しても、そこで反省して立ち直れるのが人間の良さだと思う。そして残された被害者の家族達の深い悲しみも決して全てが無駄じゃなくて、きっとそこから成長出来るチャンスがあって悲しみを乗り越えた時、犯罪者を許せる力が人間にはあるんだと思います、生きてちゃいけない人間なんていないって思わなきゃ、自分自身悲しくなりませんか?
by:古郡 雄馬 | URL | #L59BSP9s【2005/12/23 00:06】 [ 編集] | page top↑
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申し訳なかったね~。ご無沙汰しちゃって~。
今日までテストだったから、ネットサーフィンを控えていました。

さてさて、完結編に寄せてってことで
Topicsを建ててくれた観音寺さんにコメントしたいトコロなんだけど

もう少し読み込んでから感想を書きますね。

さて、手軽にコメントできるところとしては
「シュワちゃんの死刑執行」ってところかな。

俺自身はシュワちゃんの決断も支持したいし
観音寺さんのように「まだまだ野蛮人」って
感想もあります。

俺自身はこの手の議論にあまり力を入れたくないのは
「こうあるべき」
といった理想論が先行しがちだからなんだよね。

特に殺人などのように、失ったものが取り返せないときに
心に傷が残った人間が納得できるなら
その人間が思っている刑を執行することで
少しでも気持ちが晴れるなら良いと思います。

そういう「ハムラビ法典」から脱却が必要なのかも知れないけど
俺は不完全で熱い方が魅力のある人間に思えるよ

うまく表現できてるのか分からないけど
「殺してやる!」って憎悪する心と
「心を入れ替えたなら許してやろうかな」っていう慈悲の心

相克がないままどちらか一方だけに
意見が傾くことの方が社会の姿として怖いと思います。

普通に生活していると、なかなか大事な人間が
凶悪犯罪に巻き込まれたあげくに
悲惨な死を遂げるってことにはなかなか遭わないと思うけど

残酷な想像と、残酷な現実とは似て非なるものだって
考えて欲しいな~。

年内最後の授業が終わり、脳みそが空っぽになっているHBKは
そんな風に思いました。
by:HBK | URL | #JFtkodUQ【2005/12/23 03:21】 [ 編集] | page top↑
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雄馬君、HBKさん、コメントありがとうございました。HBKさん元気そうでなにより(^^j) ちょっと心配していました。

それぞれ「らしい」コメントで思わず「やはりそう来たか…」と思いました。

HBKさんの言うように、相克する余地を認めずどちらか一方に結論づけてしまうのは危険だね。死刑のみならずグレーゾーンの狭い国って、住みにくいんだか住みやすいんだか…。

それはともかく。
たしかに自分の現実の経験では凶悪犯罪に見舞われていないのだけれども。今までどちらかというと社会の暗部?というか周縁?というか、そういう場に接することが多くてさ。どうもこの社会が「負け組」を排除し抹殺していくような感じがしていて。タチの悪いことに、「勝ち組」を成り立たせるために「負け組」を生産すらしているのではないかと思うほど。

自分の青臭い希望でもあるのかもしれないけど、雄馬君の言うような「生きてちゃいけない人間」を作り出していくような社会は、やっぱりまずいと思ってる。自己責任も当然あるんだけどね。でも自己責任だけで完結させてしまうのもどうかな~と。

陪審員の制度が始まりそうでしょ? 
なかなか避けて通れない問題かな~と思ってるよ。

by:観音寺 弘明 | URL | #-【2005/12/25 09:54】 [ 編集] | page top↑
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