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江原啓之『スピリチュアル・メッセージⅡ-死することの真理』(飛鳥新社)
江原氏と、守護霊の「昌清霊」との対話である。


質問;「毎日が慌ただしく過ぎていきます。どうすれば、人生という『旅』を充実させられるでしょうか。」


昌清霊の答え;


 この現世の時は実に短いのじゃ。<中略> そのなかでぬしが充実して生きようと思うならば、要点はまず一つ。「つねに死を見つめよ」ということ。
 現世の者たちすべてが、日々死を見つめて生きるべきなのじゃ。いわば、終わりある旅、限りある旅であるということを知ることが大切じゃ。
 そして、次に、この現世の旅が終わったあと、すべてを失うのではないということ。里帰りなのじゃ。
 この現世において得られたことで、幽世に持っていけるは、感動と、経験のみじゃ。物質、または現世の地位や名誉など、物質界の方便は、何一つ持ってゆけぬ。
 現世においてどのような偉人とされても、幽世では通用はせぬ。たましいには、物質の身の丈は通用せぬのじゃ。
 すべてはたましいの経験、そして感動じゃ。何を喜び、何に泣き、何に気づいたか。その経験じゃ。
 それを日々見つめる統一された目があれば、日ごと充実、幸せを感じるはずじゃ。


なるほど。


「メメント・モリ」(死を思え)というわけですね。


さきほどニュースを見ていたら、歌手の川村かおりのブログに触れ、闘病日記を互いにブログで公開し、支え合っている人たちが映し出されていた。


闘病、もしくは看病というかなり負荷の重い体験をしている人たちの顔は、さすがに含蓄が深い。


日々なにもなく、つつがなく暮らしていては、この顔は刻まれない。


この顔を持って「あの世」に帰れるのであれば、あるいは持って帰れる可能性があるのならば、なにが人間にとって幸せなことなのか、再考を迫られる。


大過なく、ただ流されて生きるのであれば、「もったいない現世の『歩き方』」ということになるのだろう。


多くの苦難を味わった者にはそれなりの報酬が用意されている。


とはいえ、やはりある程度楽しめなければこの世に生きている甲斐もない。


「苦難の報酬」は、「あの世」への帰還を待たずとも、きっと「この世」で体感できる可能性はある。


その可能性を探っていきたい。
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【2010/05/11 22:07 】 | 読書日記 | トラックバック(0) | page top↑
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