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行きつ戻りつ。
昨年だったか、エイトスター・ダイヤモンドさんの「スペース天夢」に山川亜希子さんが来ていらして、講演を聴いたことがあった。


そのとき、亜希子さんは、「最近私の中のブラックボックスの1つがまた明らかになった」というようなことを仰っていた。亜希子さんのほどの方でも、まだ自己探求をしておられるのだと感慨深かった。


人それぞれ、「ブラック・ボックス」を抱えて生きている。


それは「無意識」と言い換えることもできると思うが、両親の影響、生まれ育った環境、遺伝的なもの、民族的なもの、輪廻して引き継いできているものなどなど、自分でも気づかぬうちに抱えてきてしまっている「闇」と言えるものだろう。


これがなかなか根深い。


頭では因果関係がわかっていたとしても、無意識の強制に振り回されてしまう。


とても厄介なものである。


座禅とは、その無意識の「闇」に向き合っていくプロセスだと思っているのだが、それはそれはさながら地獄絵図の中を彷徨い歩くようなものだろう。


正気が保てるかはなはだ疑問である。


しかし、その「闇」が払われ、塵が吹き飛ばされたところに、絶対安寧の境地、「涅槃」があるだろうという予感もある。


仏教がおもしろいと思うところは、その境地に至るためにいくつもの道が仏教の中に用意され、開発されてきていることだ。


一つはさきの座禅瞑想。


もう一つは、意外にも?浄土教に代表される「他力」。


徹底して「自力」から遠ざかり、御仏のはからいに委ねる道。


さらにもう一つは、法華経に代表される「慈悲の行」の道。


衆生の救いのために、「亡己利他」、すなわち我を忘れて他者の救済に徹する道である。


その人にあったやり方で「ブラック・ボックス」を紐解いていけばいい。


涅槃=悟りの境地にいるかどうか、ということが目的地というよりも、それはそれとしてありながら、今の矛盾だらけの自分自身を抱えつつ、日常にもまれて行きつ戻りつしながら、日々精進して生きていくその営みの中に、生きていくということのすべてが集約されているように思える。泣いたり笑ったり、感動を胸に刻みながら。
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【2009/09/14 22:31 】 | 未分類 | トラックバック(0) | page top↑
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