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松原泰道『釈尊伝』<その2>
「取り組みごと」も無事終わり、これからまた少しずつ更新していきます。


松原さんの煩悩論がおもしろかったです。


松原さんの煩悩の捉え方は、人間に備わる「自然の欲求」という感じですね。
「煩悩があるから私たちは生きていけるのです。生きているということは、煩悩のおかげです。煩悩を敵にまわしてはなりません」と仰っています。


ただし、煩悩は野放図にしてはいけない。「よく飼育し調御(心身を調整する)された煩悩が、人間を正しく豊かに育てる」。したがって、このようにまとめておられます。
「仏心とは、調御された煩悩心です」
これは名言だと思いましたね。


ともすると、「煩悩」=「悪」みたいな捉え方がされがちであり、そのために、煩悩を断ち切る、とか抑えるとか言いますが、そうではない。


仏教の考え方の一つに、「あるがままを受け止める」というのがあります。
一方では煩悩を否定し、一方ではありのまま認める。
その整合性をどうするのか、ということで悩んだときもありました。


今でもその答えが出ているわけではありませんが、否定する、断ち切る、というのは無理だ、という結論はあります。
したがって、否定したり拒否したりすることなく、その煩悩の起こることを認めた上で、正しい方向に自分の選択を合わせていく、ということでいいのではないか、と考えています。
まあ、この「正しい選択」というのも難しいのが実際ですが…。


いずれにせよ、煩悩にふりまわされているときは、「ふりまわされている」という自覚もないのだと思います。まずは「あ、これは煩悩だ」と気づくことから始まるのでしょう。その上で、できれば正しい選択をする、ということになるべく近づけていくことが、修行ということになるのでしょうか。
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【2009/07/13 22:05 】 | 読書日記 | トラックバック(0) | page top↑
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