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静けさの中で
ハイチに続き、チリでも大きな地震が起きましたね。今、こうしている間にも、この国の太平洋沿岸には津波が押し寄せています。


政治や経済の混迷はまだ続いています。


なにが正しいのか分からない時代。


そう言えるかもしれません。


このような時は、自己の内面を見つめ、そこに真実と平和を見出す時だと思います。


己として、人として正しい生き方を見出せれば、家庭において、仕事において、なにをどうすべきか自ずから見えてくるはず。


マスコミに流されず、ネガティブな言論、思考、感情にとらわれず、己の道を歩んでいくだけで十分だと思います。


まだこの世になすべきことがあれば、どんなことがあっても命を与えられるのでしょうし、天命を全うすれば、どんなに平和な時でもあの世に召されるでしょう。


「立ち返って静かにすればあなたがたは救われ、穏やかにして信頼すれば、あなたがたは力を得る」(イザヤ書30章15節)



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【2010/02/28 20:20 】 | メッセージ | トラックバック(0) | page top↑
玄田有史編『希望学』(中公新書ラクレ)
先日、玄田有史氏の話を聞く機会があった。


玄田氏は、東大の先生であるが、「希望学」というプロジェクトに中心的に携わっておられる。


今回の講演も、その「希望学」中心の内容だった。



「失われた十年」以降、この日本社会では「希望」という言葉が頻出するようになったが、それは、逆に希望を見出せない、閉塞した社会状況を反映しているのではないか。


そう著者は言う。


たしかに、先の見通しの暗い時代である。


通勤電車の人身事故も、「またか」という感じだ。


そのままなにもなかったかのように、電車は動きだし、社会は廻っていく。



同書は、精神論ではなく、社会調査をもとにした分析結果をまとめたものである。


冷静で客観的なスタンスを保っている。


興味深かったのは、「過去に挫折の経験があった人の方が、将来に希望を持ちやすい」ということだ。


さらに、「友達が多い人」も「希望を持ちやすい」のだそうである。



玄田氏も言っておられたが、希望の多くは失望に変わる。


しかし、その失望から、本当の希望が生まれる。



その講演で、玄田氏は、希望学によって希望を持てるようになったのは、まさに自分自身だ、とおっしゃっていた。


たしかに、根のまじめそうな方で、けっこう精神的にはしんどいものを抱えていそうだな、と感じた。


私にとって希望とは何だろうか?


あらためて考えてみると、私の場合、生も死も含めた人生観、生命観にあるような気がする。


たぶん、この先も絶望することはない。


へこむことはあっても。


本当にありがたいことだと思う。




【2010/02/19 22:05 】 | 読書日記 | トラックバック(0) | page top↑
岩井寛『森田療法』(講談社現代新書)
かつて、強迫神経症に悩んでいた青年がいた。


彼は、「森田療法に出会って、楽になった」と言っていた。


そこから興味を持った。



この本は、森田療法の入門書としては最適であろう。


分かりやすい。



森田療法の骨子は、私なりにまとめれば、こんな感じになる。


人と会うのがどうしても苦痛だ。


できれば誰とも会いたくない。引きこもりたい。


しかし、人と接していきたい自分もいる。


その療法の感情を「あるがまま」に認める。


そして、自分はどうしていきたいのか、「選択」する。


自分の欲望を見極めると、やはり「人と接したい」という方が優勢だ。


ならば、「人と会いたくない」「緊張する」という気持ちを抱えたまま、人と接する。


本当の目的に従って、葛藤を抱えたまま接していく。


そうやっていくときに、だんだんと葛藤は軽減していき、「生の充足感」「心の自由」が得られる。



意外とシンプルである。


ここで重要だと思ったのは、自分の感情を率直に認め、否定せず受け入れた上で、自分の意志に従っていく、というプロセスである。


この過程で、自己洞察が進んで得られていくものと思われる。


不思議なことに、自分に対する洞察が深まっていけばいくほど、自由を感じていける。


本質的なものに出会っていく。


そういう意味で、神経症やノイローゼ、さまざまな葛藤は、自己洞察のための教材なのである。


【2010/02/15 22:06 】 | 読書日記 | トラックバック(0) | page top↑
先の見えない時代
先の見えない時代です。


闇の中で、不安と不信が渦巻いています。


でも、むしろ先のことは無理に見ようとしなくてもいいのかもしれません。


今日という一日をどう生きようか。


それで十分なのかもしれません。


人として、今日という日を正しく生きる。


そのように心がけて努力する一日であれば、十分に生きた甲斐があるというものです。


「正しく生きる」とは、誠実に、愛情をもって生きること。


そうして人格を高めていくこと。人に尽くすこと。


そして楽しく過ごすこと(笑)


未来は自ずからそのうち明らかになるでしょう。


【2010/02/11 21:47 】 | メッセージ | トラックバック(0) | page top↑
江原啓之『スピリチュアリズムを語る』(PARCO出版)
「スピリチュアルの視点から見たら、人生が波瀾万丈の人こそ優等生です」


「現世ではたましいの修行をするわけですから、つつがない人生というものはありえない。本当に神様の力が働いたら、苦難の道につき落とされるはずなのです」


「自らを向上させていくためにも、苦難や試練といった『研磨剤』が必要となります。試練を味わってこそ、もっと広い視野から人生の意義を理解できると考えるのです。すなわち、地上の人生を生きる意義は、人生に起こるさまざまな体験によって霊性を高め、たましいを磨くため」


苦難、厭うべからず。
【2010/02/01 23:07 】 | 読書日記 | トラックバック(0) | page top↑
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