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総選挙にことよせて。
今回の衆議院選挙では民主党が圧勝しましたね。


しかし、過剰に期待してはいけないと思います。


民主党はまだ未知数です。


政権交代後、スムーズに事が運ぶと期待することは無理でしょう。


大げさですが、フランス革命のゴタゴタが想起されます。


民主党に期待するのは世情というものですが、今回の選挙で存在感が増したのは、なによりも有権者=国民です。


与党は国民をナメていた、長年の安定政権で慢心していたことは否めないでしょう。


今後、民主党が「ブレる」ことがあれば、間違いなく次の選挙は議席を失います。


ようやく民主主義が多少機能してきた、と言えるかもしれません。


政治経済の建て直しはもちろん必要ですが、これはあくまでも「カタチ」に過ぎません。


ここで国民が内面に向かって行かなければ、現在の政治経済の混迷は打破できない、と私は思っています。


市場の飽和した資本主義社会は、人為的にバブルを創り出すしか延命の道がないようです。


そんなムダをするのではなく、何が必要で何が必要ではないのか、大切なものは何で大切でないものは何か、十分に議論して見極めて、賢明にお金やエネルギーを配分することで、おそらく多くの問題は解決するのではないかと思っています。楽観的ですが。


真っ先に不要なものは軍事費です。


これほどバカなお金とエネルギーの使い道はありません。


軍事費をゼロにするには精神革命が必要です。


恐れ、不安、貪欲、権力欲、憎しみ、攻撃心…。


こういったものから人類が解放されたら、必然的に軍事費は消滅します。


福祉や農業、新エネルギーの開発などに廻せます。


景気や経済の問題は、人間の心のあり方で大きく変わるものだと思います。


結局は心を持った人間が動かしているのですから。


一人一人の精神的な向上が、すなわち世界の問題解決でしょう。


我が道を行きたいと思います。
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【2009/08/31 23:04 】 | 未分類 | トラックバック(0) | page top↑
寺山心一翁『フィンドホーンへのいざない』(サンマーク出版)<その2>
フィンドホーンの創始者、アイリーン・キャディが、この本が日本語で出版されると聞いて、メッセージを残している。


「心を静めて自分の内面に入り、あらゆる存在の源である内なる神を見つめてください… 不安や怒りで揺らぐことのない心は、さざ波のない湖面のように、あらゆるものを映し出します。私はずっと神からガイダンスを受けてきましたが、けっして特別な人間ではありません。神はあらゆる人の内面にあるものなので、耳を澄ませれば誰にでもその声は聞くことができるものなのです」


現実世界や生活の様々な問題や困難で疲れたり途方に暮れていたりするとき、内なる世界に赴くことによって平和が得られる。正しい道、歩むべき道がはっきりする。


この混乱した世情において、大切なひとときになると思います。
【2009/08/29 12:50 】 | 読書日記 | トラックバック(0) | page top↑
寺山心一翁『フィンドホーンへのいざない』(サンマーク出版)
著者の寺山さんは、医者からも見放されたガンが、自然治癒力を高める方法で治ってしまった経験から、次のように述べています。


「一見やっかいに見える問題も、愛して受け止めればおのずから消えていくという不思議は、がんだけでなく、人生のあらゆる局面に存在するのです」


『なまけもののさとり方』という本でも、同様なことが書いてありました。


嫌なことがあると無理にでもあらがおうとするのが人間の本性です。


状況を変えていこうという努力はもちろん大切です。


しかし、前提として、そのものごとを受け止め、受け入れながら、変えていこうとしていくことと、とにかく状況などを拒否して受け入れず、感情的に反発したりネガティブになって、無理にでも変えていこうとするのとでは、微妙なようで雲泥の差があるのかもしれません。


受け入れながら、怠らず努力していくこと。


任せながら、自分でやれることをやっていくこと。


相反するようですが、どちらも大切な車の両輪ですね。
【2009/08/28 18:48 】 | 読書日記 | トラックバック(0) | page top↑
地震が多い。
最近地震が多いですね。


民間の団体ですが、予知の研究をしています。<PISCO>

ご参考までに。
【2009/08/18 13:15 】 | 未分類 | トラックバック(0) | page top↑
高尾山・琵琶滝
SA350146.jpg


先日、父の墓がある八王子霊園にお参りに行って来ました。


その帰り、高尾山に寄ってきました。リフトで上まで登って、そこから高尾山頂まで登り、麓まで6号路という沢沿いの山道を下ってきました。


その途中に、有名な琵琶の滝がありました。


数々の宗教家がここで水行をとってきました。


最近では江原さんですかね。


高尾山はもともと修験道の山。


清澄な空気を体感してきました。
【2009/08/14 09:48 】 | 未分類 | トラックバック(0) | page top↑
河合隼雄『物語を生きる 今は昔、昔は今』(小学館)<その3>
河合氏は次のように述べている。


「夢体験そのものがすなわち、その人にとっての『物語』である、との見方も可能である。(中略)つまり、事実を事実として記述する自然科学的方法は、人間と関係なく事実を語るのに適しているが、物語は、逆に『関係づける』作用をもっている。それは物語を語る人、聞く人にとって、自分と他人、人間と動物や物、生者と死者、自分の心の中の意識と無意識などを関係づけるのである。そのように、縦横無尽に張りめぐらせたネットワークのなかに自分を位置づけることにより、人間は安心して生き、安心して死ぬことができるのである」


なるほど。


確かに、「自分にとっての物語」を作ることはとても重要。よく分かる。


なんでこんなにつらい目に遭うのか?


なぜこんなに世は不合理なのか?


これらの問を、人は生きていれば背負い込まされる。


このような困難を乗り越えていく「物語」が必要だ。


それは、「私はなぜ生きているのか」という問に逢着する。


困難を乗り越えることで私が成長し、私の可能性が拓かれる。


それによって私の仏性が磨き出される。


永遠の命が開顕する。


慈悲も智慧も深くなる。


そして、死と共に、平和な世界へ行く。


それが私の今の「物語」。
【2009/08/08 23:07 】 | 未分類 | トラックバック(0) | page top↑
河合隼雄『物語を生きる 今は昔、昔は今』(小学館)<その2>
河合隼雄は、『前世療法』について触れ、次のように述べている。


「『納得がいく』という表現があるが、このことは人間の人生にとって極めて大切なことだ」


「現代人は『納得がいく』ために、自分の知る限りの経験と知識とを因果的に結びつけて理解しようとする。従って、自分の状況の原因として『親が悪い』とか、『社会が悪い』とか言ってみる。しかし、本当の納得は得られない。本当の納得は、知的な因果律を超えて、自分の存在全体が『そうだ』という体験をしなくてはならないし、それは極めて個別的なものである。一般的原則に基づく説明は、本当の納得につながらない。従って、その人にとって、自分の前世と現在の状況との関係が明らかになったときなどは、知的理解を超えて納得がいくのである。言うなれば、自分という存在が、今、目に見えているものや知識などを超えて、より偉大な存在との間に根づくのを感じる」


前世の有無、という次元ではなく、その話がどれだけ当人にとって「意味」があるか、ということで説いている。しかも、前世論は大切な言説という位置づけだ。


とても大きな示唆だと思う。


自分の生をどのように意味づけるか。「発見」するか。


そういう意味では、前世論を含め、生老病死という人生の難題に包括的な解決策と希望を与えている仏教の言説というのは、人間にとって生きていく大きな支えになる、ということができる。


「盲信」することも「狂信」することもなく、深く「納得」する。


それは理性と直観とが融合したところにある認識のあり方のようにも感じる。
【2009/08/04 08:54 】 | 読書日記 | トラックバック(0) | page top↑
河合隼雄『物語を生きる 今は昔、昔は今』(小学館)
先年亡くなられた河合隼雄さんの言葉です。


「人間はその存在を確かなものと感じるためには、たましいとつながっていなくてはならない。それから切れてしまうと、この世の富や地位を得たとしても、底流する不安に脅えねばならない」


河合さんとはとても慎重な方で、宗教的なこと、神秘的なことにはとくにその慎重さを発揮するのですが、この表現はそういう意味でちょっと意外な感じがしました。


河合さんのいう「たましい」というのは多義的な、多分にあいまいさを含んだ言葉で、だからこそ意味があるのだと思いますが、私は、それは「仏性」だと思います。


人間は、やはりその本質や本性から逃れられない。


その本質が仏性である以上、その仏性にそぐわない生き方には、不安を覚えていく必然があるように思います。


逆に、仏性を磨き出すような生き方をしていくと、まず第一に不安が軽減していくように思います。


そのことが、体の調子もよくしていくものでしょう。


人間の最大の欲求は心の平安だ、というのはアメリカのJ・マーフィーの言葉ですが、その通りだと思います。


己の不安は己自身でしか解決できません。


不安と対峙していくとき、必ずや自分の心に巣くっている「影」を見いだすことになっていくでしょう。


それは自分の親との関係からくるもの、育ちからくるものかもしれませんし、人生上のさまざまな出来事かもしれません。


もって生まれたものもあるでしょう。


己と対峙して、己を明らかにし、高めていく努力の日々の中に、仏性は磨き出されていくものなのでしょう。
【2009/08/02 17:57 】 | 読書日記 | トラックバック(0) | page top↑
華厳経の一節より。
「華厳経」に、次のような言葉があるそうです。


「菩薩は一切の悪を忍受し衆生にむかひて心平等にして動揺なき事大地の如し」


仏教では、自らの「悟り」だけを求めるのではなく、他の人をも救おうとし、またそのことによって「共に」安楽の世界に渡っていこうとするあり方を「菩薩道」を呼んでいます。


その道は決して楽ではありません。


日常生きていれば、不安や焦り、孤独、怒り、嫉妬、憎しみ、恨み、自責など、さまざまなネガティブな思念や感情を抱えてしまうもの。


またそれは、日常出会う人々によって、絶えず喚起されてしまうものです。


その中でどのように平和と平安を見つけ出せばいいのでしょうか?


心を静かにして、神仏と対面し対話するひとときを設ける必要があります。



今朝、仏壇にお勤めをしていて、ふと、仏様の慈悲の年がじーんと強く伝わってきました。


お恥ずかしながら、感涙にむせびながらお経をあげていました。


「私たちは一つなんだよ」という念が伝わってきて、孤独を感じていた私の心は洗われました。


ありがたい朝でした。
【2009/08/01 09:01 】 | 宗教&スピリチュアル | トラックバック(0) | page top↑
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