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『バシャール×坂本政道』(ダリル・アンカ/坂本政道 VOICE社)-その7-
ブッダについて坂本氏が質問したバシャールの解答が興味深かった。


「仏陀がみなさんに無条件の愛を送っておられるということは言えます。そして、仏陀の最大の願い、それはみなさんが自分自身を仏陀であると見る、ということです。仏陀はそのような目でみなさんのことを見ています」


-仏陀の教えをひと言で言うと、どういうことですか(坂本)


「無条件の愛、無条件の許容です」


このバシャールの言葉には、けっこう説得力が感じられました。


私たちは、このことに「気づく」ために、そして「表す」ために、この世に生まれてきているのではないか。


私たちは、自らが「仏陀」であり、「無条件の愛」、「無条件の許容」であることを、にわかには信じられず、またそのようにもできない不完全の、未完成の存在です。


しかし、だからこそ、この世に生を受けたのではないか。


「罰」でもなんでもなく、その感動を味わうために。


一人ではなく、みんなでその感動を創造し、分かち合うために。


感謝、感謝ですね☆


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【2009/07/29 21:35 】 | 読書日記 | トラックバック(0) | page top↑
『バシャール×坂本政道』(ダリル・アンカ/坂本政道 VOICE社)-その6-
活字数は少ないのですが、いろいろと示唆に富む内容が書かれていますので、続けていきます。


「人間関係において、お互いができるかぎり本来の自分でいられることを目的にしてつきあうとき、人々が調和的にシンクロして動き始めるので、一人の人が何かを望むタイミングは、相手の人が何かを必要とするタイミングとぴったり合うことでしょう。
真実の関係性と言える人間関係は共時性をもっています。ですから、自分で必要だと考えているときではなく、実際に本当に必要なときだけ、自分に必要なことができるでしょう」


「人間関係の目的とは、お互いが相手の人(人々)を反映しあい、相手が最大限に本来の自分になれるように助け合うことです。
そして、それぞれが最高の自分になることを助け合っていくような関係においては、葛藤がどんどん減っていき、タイミングが一致してきます」


ここのくだりで、思わず考えさせられました。
すべて100%理解しているわけではないですが、お互いのベストの関係というのは、相手に最大限の愛をもってつきあっているときに、ベストのタイミングでことが運ぶ、ということになるのでしょうか。


「タイミングが合わない」ことを、相手のせいにしたり、運命のせいにしたり、とかく自分以外のなにかを責めやすいものですが、自分が愛に満たされた状態で、相手のことを第一に考えられていれば、ベストのタイミングでベストの方と巡り会うのでしょう。そのときはそうだと気づかなかったとしても。


すべては自分から始まるのだ、と改めて思いました。
【2009/07/24 22:44 】 | 読書日記 | トラックバック(0) | page top↑
『バシャール×坂本政道』(ダリル・アンカ/坂本政道 VOICE社)-その5-
バシャールの語る「ワクワク論」について、もうちょっと話を続けていきたいと思います。
というのは、これからの時代を生きるにあたって、おそらく主流になるであろう、重要なコンセプトの一つになるものという予感があるからです。


「2012年」に向けてわれわれはどう生きて行くべきなのか?という坂本氏の問に対して。


「可能な限り毎瞬毎瞬、あなたの情熱、ワクワクする気持ちに従って行動する、ということです」
「本当の自分自身とまっすぐにつながりたい、本当の自分になりたいならば、ワクワクする方向、情熱を感じる方向に進んで行動することが大切なのです」


そして、そのワクワクの行動化について、障害になるものについて。


「「どんな信念があるから情熱を行動に移すのが怖いのだろうか」と、自分の信念について探求してみる意欲も大切です」
「ワクワクする気持ちに従って行動していくと、ほぼ自動的に、本当に自動的に、自分自身の信念に直面せざるをえないような状況に身を置くことになります。そして、本当に自分自身と整合性がない信念は変えるチャンスを与えられるのです」
「ワクワクを行動に移すと、ネガティブな信念に気づくことがあり、それを変えることによって、ワクワクのエネルギーがより高まる」


このように、バシャールは述べています。


「信念が経験世界を創造する」という心の法則に沿って考えると、「どのような信念体系を持っているか」ということが当然重要となってきます。
それに、自分の信念というものは、その多くの部分を無意識下に抱えている、ということもあわせて思い起こさなければならないでしょう。


そうすると、「思い通りに行かないこと」ということそのものが、自分の信念体系の誤りや偏りを知らせてくれる場合もあるわけで、そのような「思い通りに行かない」事態を大切に考えて受け止めていくべき、ということになるのでしょう。


日常、生きていると、ともするとさまざまな問題の原因や要因、解決方法を外側のものに求めがちですが、誰かに、なにかを責め、また頼るのではなく、自分の信念や考え方、受け止め方を冷静に振り返ることが、自分の抱えている困難な状況を乗り越えていく、意外な近道なのかもしれません。
【2009/07/21 23:21 】 | 読書日記 | トラックバック(0) | page top↑
『バシャール×坂本政道』(ダリル・アンカ/坂本政道 VOICE社)-その4-
この「ワクワク」について、バシャールは、次のようにも言っている。


「ワクワクする気持ちというのは、それだけで完全なキット、完全な道具箱のようなものです。
ですから、あなたがそのことを理解し、信頼してワクワクを行動に移す意志をもつならば、そのワクワクが必要なサポートをすべて運んできます。
お金であれ、それ以外のものであれ、あなたに必要なものを運んでくるのです。ワクワクする気持ちを行動していれば、あなたがそうなると信じているかぎり、そのワクワクはあなたに必要なあらゆるサポートをしてくれます」


したがって、次のことが問われてくるわけです。


「自分のワクワクする気持ちが自分をサポートしてくれるのだとうことを、自分はどれくらい信じているだろうか」


「思考が現実化する」というのは成功哲学でおなじみのキーワードですが、実際人間は自分の「信念の牢獄」にいるわけで、それが「当然」と思っている限り、変容の余地はないわけですね。


実際、いわゆる「死後」にもその自分の信念にとらわれて、その信念の世界に留まって苦しんでいる霊も多いようです。


自分が「当然」と思っている信念が実は「当然」ではないのかもしれない。
それは幻想であり虚妄なのかもしれない。


その妄念を相対化していくために、仏教では「無」ということを言うのだと思いますが、そこで体得・体感された世界もまた「無」という言葉で表現するのでしょう。
そこでは「無」という言葉が二面的な意味を持っているものだと言えます。


ちなみにそのときの「無」とは、「エネルギーの充実した無」とは上田閑照師の言葉ですが。
【2009/07/20 12:05 】 | 読書日記 | トラックバック(0) | page top↑
『バシャール×坂本政道』(ダリル・アンカ/坂本政道 VOICE社)-その3-
前回引用した「真実の芯(コア)」について、バシャールは、次のようにも言っています。


「もしその人が自分の中心とつながっている状態にあり、そして自分自身はある意味で完全なのだと理解しているならば、『これがないと絶対にダメなんだ!』という思いにとりつかれることはなく、『ずっと中心とつながっている状態にいて、ワクワクを行動していれば、必要なものはやって来るのだ』ということがわかるでしょう」(220p)


このあたりの表現は、『神との対話』シリーズでもよく出てきます。


実際、欠乏への恐怖、自己保存への執着、欲望の飽くなき追求などから、人のものを収奪してきたのが今までの「歴史」でした。


モノやお金をどのように配分するかをめぐって、人類は延々と戦ってきたわけですが、「有限のモノ」をどう分配するか、というところの智慧と、もう一つ、無尽蔵に広がっていくエネルギー供給を開発していく智慧とが人間にはあるように思います。太陽光は誰も値をつける必要のないフリーエネルギーですが、人間はそこからエネルギーに変換することを一般化しつつあります。そのエネルギーを飽くなき利潤追求の元手とするか、多くの人のために供するかは人間のメンタリティの問題です。


人類にはまだ様々の未知の領域がありそうです。
その最大のものは、人間の心の世界でしょう。
人間の心の想像力、そして創造力は、まだまだこれから解明されていく余地があります。
それはメンタリティの向上と対になって解明されていくべきもので、その先に、人類社会の平和と繁栄があることは間違いありません。
【2009/07/18 23:38 】 | 読書日記 | トラックバック(0) | page top↑
『バシャール×坂本政道』(ダリル・アンカ/坂本政道 VOICE社)-その2-
前回の引用部分;
「怖れ、怒り、憎しみ、強欲などの感情があるのは、その人の真実の芯(コア)の部分とひとつにはつながっていないネガティブな信念体系があるからです」
というところについて、さらっと書いていますが、なかなか含蓄の深いものがあります。


裏を返して言うと、「真実の芯(コア)の部分とひとつ」につながっていると、「怖れ、怒り、憎しみ、強欲」などの「ネガティブな信念体系」がなくなる、というわけです。


では、どうすれば「真実の芯(コア)の部分とひとつ」になれるのか。


それはやはり「修行」しかないと思います。


なにも滝に打たれるとか断食するとか、そういうことばかりが修行ではありません。
日々の日常において、仏教の言葉で言えば「八正道」「菩薩道」を生きていく、ということだと思います。
言葉を換えて言えば、私利私欲ばかりではなく、相手の幸福を、みんなの幸福を考える「大我」に生きることなのだと思います。


不思議なもので、「我が身かわいさ」は自然なものですが、それをあえて棚上げして、見返りを求めない純粋な愛に自分をなげうったとき、本当の「我が身かわいさ」を感じられるものなのかもしれません。


古代ギリシャの戯曲などでは、盲目になってから初めて真実を「見る」ことのできるようになった者の話がありますが、そういう意味で示唆的です。
我が国の一遍上人なども「捨ててこそ」という言葉を遺していますが、そのあたりの機微を突いているものではないでしょうか。
【2009/07/16 14:11 】 | 読書日記 | トラックバック(0) | page top↑
『バシャール×坂本政道』(ダリル・アンカ/坂本政道 VOICE社)
日本におけるヘミシンクの第一人者、坂本政道氏と、「バシャール」と呼ばれる高次元の存在との対話。


その中でバシャールが語っている次の一節;


「人が怒りを感じる理由はただひとつ、自分がサポートされていない、愛されていないと感じるからです。そして、人が欲張りになる理由はただひとつ、自分には充分にないとい怖れているからです。怖れ、怒り、憎しみ、強欲などの感情があるのは、その人の真実の芯(コア)の部分とひとつにはつながっていないネガティブな信念体系があるからです」(p152)


なるほど。
昨年の秋葉原の連続無差別殺傷事件を思い出しました。
加藤容疑者の「怒り」はなんの関係もない人に向けられましたが、根っこには、バシャールの言う誰にも愛されない「怒り」があったのではないか?


加藤容疑者に限らず、職場でコキ使われているとき、人は「愛されていない」と感じているのかもしれません。
そうすると、イライラして、電車とかでちょっとなにかぶつかったとかなんとかですぐキレたりするのかも。


自分は本当は心の底でなにを感じているのか、ということに気づくのは容易ではないのですね。


【2009/07/14 18:38 】 | 読書日記 | トラックバック(0) | page top↑
松原泰道『釈尊伝』<その2>
「取り組みごと」も無事終わり、これからまた少しずつ更新していきます。


松原さんの煩悩論がおもしろかったです。


松原さんの煩悩の捉え方は、人間に備わる「自然の欲求」という感じですね。
「煩悩があるから私たちは生きていけるのです。生きているということは、煩悩のおかげです。煩悩を敵にまわしてはなりません」と仰っています。


ただし、煩悩は野放図にしてはいけない。「よく飼育し調御(心身を調整する)された煩悩が、人間を正しく豊かに育てる」。したがって、このようにまとめておられます。
「仏心とは、調御された煩悩心です」
これは名言だと思いましたね。


ともすると、「煩悩」=「悪」みたいな捉え方がされがちであり、そのために、煩悩を断ち切る、とか抑えるとか言いますが、そうではない。


仏教の考え方の一つに、「あるがままを受け止める」というのがあります。
一方では煩悩を否定し、一方ではありのまま認める。
その整合性をどうするのか、ということで悩んだときもありました。


今でもその答えが出ているわけではありませんが、否定する、断ち切る、というのは無理だ、という結論はあります。
したがって、否定したり拒否したりすることなく、その煩悩の起こることを認めた上で、正しい方向に自分の選択を合わせていく、ということでいいのではないか、と考えています。
まあ、この「正しい選択」というのも難しいのが実際ですが…。


いずれにせよ、煩悩にふりまわされているときは、「ふりまわされている」という自覚もないのだと思います。まずは「あ、これは煩悩だ」と気づくことから始まるのでしょう。その上で、できれば正しい選択をする、ということになるべく近づけていくことが、修行ということになるのでしょうか。
【2009/07/13 22:05 】 | 読書日記 | トラックバック(0) | page top↑
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