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桜の花によせて
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日付の変わる頃、その公園には人はいない
白い電灯に八分咲きの桜の木が浮かぶ
花の下で見上げると
かすかな風に枝をゆっくり揺らせ
静かに、静かに咲いていた
あと幾日もなく散っていく
その運命を受け入れながら



朝の、人々が忙しく行き交う道で
青く高い空に桜の花が冴えている
足を止め、時が止まる
凛として微動だにしない
けな気に、しかし強く咲いていた
あと幾日もなく散っていく
その運命に抗うことなく



桜は毎年花を咲かせ
そして私は毎年嘆息する
その心は変わらないが
感じるものはわずかに変わる
私も桜も
縁あってともに生きているものなのだから
友よ、美しき友よ
これからもともに生きていこう
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【2008/03/28 12:11 】 | | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
「2012年」になにかが起こる? <その2>
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さて、「宗教の進化」ということでは、「普遍化」と「寛容性」がその特徴として挙げられるだろう。


「普遍化」とは、情報化社会の招来や国際化社会、諸学問の発展ということにも関係があるだろうが、さまざまな宗教に共通する要素や互換性などが考えられるようになったこと。そして、たとえば臨死体験の研究やいわゆる「前世の記憶」など、文化の差もあるが、その一方である共通する要素が見られるようになったこと。


「寛容性」とは、宗教者の努力や戦争の惨禍などの歴史的な教訓、あるいは国際化なども手伝って、宗教の独善主義が改善されつつあること。今でも宗教ということでは独善的な傾向を持つ団体や国もあるだろうが、中世の比ではないだろう。さすがに現代ではキリスト教文化圏で「魔女」は処刑されないだろう。


これらの傾向によって、他宗が他宗を排除しあうのではなく、他宗の良いところを取り入れ包容していきながら、新たな境地を切り開いて行っているように思える。
そして、もっと言えば、
・死後にも生は続く
・天国も地獄も心の状態である
ということは共通した認識となりつつあり、さらに、
・生まれ変わりを繰り返して魂を磨いている
・親を含め自分自身である程度環境を選んで生まれてくる
ということも言えそうだ。


その本質といえば、
・神は愛であり、誰も罰しない
・人は神の子であり、分身である
・(したがって)人間の本質は愛である
とも言えよう。


しかし、現実のこの娑婆世界はまさに地獄ではないか。人間は「神の子」どころか「悪魔の子」ではないか。そう思いたくもなる。
現実の一面はそうだ。ところが、人間はこの地獄によって苦しみが生じるようになっている。


お釈迦様はその地獄を、三毒と言われる貪ぼり、怒り、無知によって生じるとおっしゃった。
さらにその底には「我、我」という「我執」があることを省察された。
そこから生じる「苦」から逃れるために、八正道・六波羅蜜をお説きになった。それは端的に自己を制し、利他に生きる道であった。「苦」がなくなれば、必然的に幸福になるのである。


現世は、資本主義や帝国主義といった人間の貪欲を原理とした社会といえよう。
投資家や資本家などの思惑もあるのだろう、原油の高騰が続いている。このことは彼らをますます儲けさせるが、一方で庶民は飢える。中小の工場や会社は潰れる。


しかし、このような社会のあり方は、いつかはなくなって行く。時間はかかるかもしれない。しかし、神は利己主義者ではない。もっと言えば、私たちの本質は「自分さえよければいい」という愛の表現の仕方に満足できない。必ず利他の愛を表現していくようになっていく。そういう人が増えていくとき、ようやく極楽浄土・寂光土がこの娑婆世界に顕現する。そのとき、「宗教」はなくなるのだろう。


この未来予想図を私は確信しているが、その大きなステップが2012年に起きるのかどうか、私には分からない。ただ、起こっても不思議はないと思う。そのための準備として、この地球上でさまざまな新しい宗教や死後の世界、生まれ変わりの証明がなされつつある、と言っても辻褄は合う。


いつ死んでも悔いのないような生き方。それは人間の真の?あるいは本当に幸福を感じられる生き方であるはずだ。それに気づくことが幸福なのだろう。「2012年」はその通過点だ。
【2008/03/11 23:24 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
「2012年」になにかが起こる? <その1>
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最近、書店の「精神世界」コーナーで、「2012年」に関わる書籍をよく見るようになった。

私が読んだのは中丸薫氏(『まもなく世界は5次元へ移行します』)と坂本政道氏の著書(『2012人類大転換』)だが、両者の内容に多少の異同はあるものの、2012年に(日にちもはっきりしている)「アセンション」と呼ばれる人類の精神のレベルアップ現象が起こる、ということでは一致している。これは、かなりの人口の減少を伴うものらしい。


かつて、20世紀末に「ノストラダムスの大予言」がこの国でもてはやされたことは記憶に新しい。結局1999年には地球規模の大異変は起こらなかった。だから今回も…ということは、現実問題としてはだれも分からない。


ちょっと視点を変えて考えてみたい。
20世紀に入ってから、とくに後半、宗教の分野ではかなりめざましい変革が起こったと私は考えている。キリスト教や仏教といった大宗教はもとより、それを母体とした新興宗教、江原啓之氏に代表される「スピリチュアリズム」など、従来の信仰や精神世界に対しての見方がかなりの進化を遂げた。


それは、皮肉なことに近代科学の恩恵でもあると言える。
科学はいわゆる「死後の世界」や「神」などの世界を不問に付し、あるいは存在しないものとして考え、ひたすら物理現象の法則を追究した。かくして今日の豊かな科学文明を享受しているわけだが、その「落とし子」として、核兵器などの大量破壊兵器を作り出し、人類の存続を脅かすようになって久しい。
また、言わずとも今日の環境問題などは科学文明を基調とした経済発展の負の側面でもある。


さらに、科学の発展は人間の心の領域にまでその研究の触手を伸ばしている。
その結果、「無意識」と呼ばれる人間の深層心理の世界にまで足を踏み込むようになってしまった。かつて科学が確立される以前、人々が修行や思索などで経験的に語ってきたその深遠で広大な世界を、心理学の世界が後追いして裏付けてしまうという事態も生じている。それはとりわけ臨床心理学などの分野では、症状の軽減や快癒という形で示されている。


要するに、科学主義が席巻することにより、それまで迷信や教条主義などの不純物に覆われていた宗教や信仰の世界で「垢落とし」が生じることになったのだ。そのことによって、科学では解決できなかった人間の倫理の問題やいわゆる「死後の世界」の問題、生きていく価値観の問題などが、科学の洗礼を受けた、より進化を遂げ洗練された宗教や信仰などの登場によって、科学の不得意や領域を見事に補完することになったのである。そして、総体として人類の意識や生活の向上につながっていったのだ。
【2008/03/06 23:01 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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