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父を偲ぶ
昨日は父の命日だった。今年で17回忌を迎えた。「光陰矢のごとし」とは言ったものである。

父は、私が高校3年生の時に急逝した。享年51歳。まさしく青天の霹靂で、予想だにしなかった。

父は、東京の本郷の生まれだったと聞いている。
その後満州に一家で渡り、終戦を境に命からがら帰国したという。
学生時代、一時期郷里の山形にいたこともあるらしい。地元では勉強もスポーツもよくでき、期待を背負って東京に出てきたとか。

東大に挑戦するが受からず。横浜国大に進学。
20歳前後?で進行性筋萎縮症を発症。体調のこともあったらしいが大学を中退。

今もそうだが進行性筋萎縮症という病気は難病で、当時はあと数年の命と言われたらしい。それまでなんでもこなせた父にとって、そのショックは想像に余りある。

中退後は学生運動の延長で社会運動に携わる。囲碁や麻雀に強く、それで飯を食っていたらしい(笑) もしかしたら他になにか仕事をしていたのかもしれないが、詳しく聞いたことはない。

私の想像だが、病気を境に、父はその人生を投げ出してしまったところがあるのではないか、と思っている。

その後、母と知り合い、姉が生まれる。翌年私が誕生。子どもを授かることができないと思っていたらしいので、その喜びようというのは相当なものだったらしい。

その間、当然病気は治らない。できる仕事も給料も限られる。中小企業を転々としたり、一時期家にいたり、自営でなにかやろうとしたり、まあ波乱の生涯だった。

「なんでもできた」父は、それ故プライドが高かった。しかし、その病気ゆえに膝を屈して人に仕え、アゴで使われなければならなかった。その悔しさは相当だっただろう。

私が中学生のとき、弟が生まれる。貧乏人の子だくさんという言葉の通りだが、兄弟が増えたことに私を含め家族はとても喜んだ。

なによりも喜んだのは、父だった。
このとき、40代後半。
職場の父の机上には、最期のときまで幼い弟の写真が飾ってあったという。

晩年、父は単身赴任していたが、その住まいで電気が勝手に点いたり消えたり、夢に亡父(私からすると祖父)が出てきたりしたことがあったらしく、「俺もそろそろお迎えがきたかな」なんて言っていた。なにをバカなことを、なんてそのときは思っていたものだが。ついでに父は言った。「俺の子どもたちはよくできた子どもたちだ。思い残すことはない」。なにか感じるものがあったのだろうか。この言葉を言っていたのは、晩年の夏だったと記憶している。

父が亡くなった後、悲哀や悔恨、寂しさに苛まれた。
変な話だが、ほっとしたところもあった。父は、われわれのためにその重い体をおして働いてくれていた。それは私にとってもつらいことだったのだ。

そして、人は死後どうなるのか、父の生きている意味はなんだったのか、悩まさることになった。

爾来17年。
私は私なりにその答えを見つけ出し、納得している。

そういえば、やはり晩年だったと思うが、自分はこの病気になってよかった、というようなことを言っていた。もし病気になっていなかったら、自分は相当傲慢な人間になっていただろう、と。


昨日の夜、家族が寝静まった後、一人で晩酌した。
正確に言うと、一人ではなかった。
ビールとつまみ。私の箸とコップの他に、もう一人分の箸とコップを用意した。なんとなく、お祝いしたい気分だった。

お金の問題はまだ解決していないが(笑)、お陰様でこうして幸せに生きていられる。
父が与えてくれたもの-それは愛情とか、正義とか、誠実さとか、まじめさとか…語りきれない。
父の他界後もそれらは私を支えてきたし、今も支えになっている。

自分もいつの日か娑婆の縁が尽きたとき、胸を張って父に再会したい。
父が与えてくれたものを糧にして、これだけの花を咲かせることができましたよ、と言えるような生き方をしたい。

父は黙って聞いていた。というよりも、目にも見えないし言葉も聞こえないので、肉声は聞こえなかった。

しかし、父が傍にいて聞いてくれていることは分かっていた。
喜んでくれている。そう思った。


家の宗旨は曹洞宗だが、その開祖道元さんは、『修証義』の中で次のように述べている。

「人身得ること難し、仏法値うこと希なり、今我等宿善の助くるに依りて、已に受け難き人身を受けたるのみに非ず、遭い難き仏法に値い奉れり、生死の中の善生、最勝の生なるべし、最勝の善身を徒らにして露命を無常の風に任すること勿れ」


私なりに訳しておく。

「人の身を享けることは難しい。仏法に出会うことも稀なことである。今私たちは積み重なった善やご縁によって、享け難い人としての体を享けさせていただいただけではなく、遭い難い仏法にも出会わせていただいのである。生き死んでいくことは避けられませんが、その中で善く生きることは最もすばらしい生き方です。さらに最高の命としての人としての命を、虚しく過ごして露のような命を無常の風に流されるようなことがあってはならないのです」

一日一日を大切に生きていくこと。
それは「無常の風」が吹くからこそ、際立ってくるのだろう。


同じく、『修証義』より。

「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり、生死の中に仏あれば生死なし、但生死即ち涅槃と心得て、生死として厭うべきもなく、涅槃として欣うべきもなし、是時初めて生死を離れる分あり、唯一大事因縁と究尽すべし」

生死を見極めることは、仏弟子のみならず、すべての人に課せられた「くびき」なのだろう。
人としての真実の生き方をしていくとき、生も死も超えてしまうのだろう。肉体的な死なんていうものはどうでもいいことになるのだろう。
そのとき、永遠の生を直観するのだろう。

その直観は、苦もなく楽もなく、正確には苦にも楽にもとらわれることなく、ただ「生きている」そのものの現実を受け入れさせてくれるものなのだろう。
幸福の実感を伴って。


娑婆世界の道は険しく、暗い。
しかし、希望を持って今日を明日を生きていけることを感謝したい。

亡父追悼の言葉に代えて。
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【2006/12/13 20:47 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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