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8月6日、合掌。
今日は広島に原子爆弾が投下された日。亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

アメリカは今でも、原爆の使用について「戦争を早く終結させた」と評価しているという。なんとも情けない話である。
原爆の使用によって10数万人の市民が虐殺された歴史上の悲劇は、60年経った今でもアメリカが正当化しているというモラルの低さとともに、ずっと語り継がれることだろう。

そうは言っても、私は原爆の使用が戦争の終結を早めた、というのは事実だと思っている。日本は「本土決戦」も考えていたようだ。もし本土に上陸していたら、たしかにもっと犠牲者は増えていただろう。しかし、そのことをもって原爆を正当化する神経が分からない。人類史上もっとも残酷な虐殺の一つに違いはない。

当時の為政者たちは、なぜもっと早く降伏してくれなかったのだろうか。そもそもなぜ戦争を始めたのか。いくら追い込まれていたとはいえ、そのような解決方法しかなかったのだろうか。あまりにも無責任だったのではないか。

その後の日本は、日本の歴史上初めて他国によって占領されるという事態になり、それは今なお続いている。国土が焦土と化し、欠乏のどん底にあって、ようやく平和の大切さを痛感するようになった。新憲法の成立した過程の是非はともかく、平和主義はこうして多くの人の支持することになった。その結果、日本は戦争に参加することに消極的になった。それは喜ばしいことだ。多くの犠牲の上に、今の平和がある。そのありがたさを思わずにはいられない。隣の半島では今なお徴兵制が敷かれ、戦争の危機と毎日のように直面しているのだ。

そして、アメリカは懲りることなくその後も戦争を続けてきた。その国土に被害が出ないと痛みが分からないのだろうか。また、かの国では軍需産業が巨大化し、それがためにいまだに戦争は大がかりな「公共事業」となっている。

今のイラクで新型兵器を試している、という話がある。電磁波で音もなく頭をふっとばしてしまうらしい。政府や軍の高官たちはそのことを「当然だ」と言って憚らない。なんていう人間たちなのであろう。人が人を殺していく。どうして平然と正当化できるのだろう。

アメリカ市民はどう考えるのだろう。自分たちの日常は犯罪と暴力とテロに脅える不自由な生活だということに。自分たちのしていることは自分たちの身に返ってくるということに。

今のままアメリカに追従していれば、イラクのみならず世界中に日本は自衛隊を派遣するようになるだろう。米軍の一支隊として。日本はこれから戦争に巻き込まれていくようになる。

為政者たちの判断は大きいことには違いないが、現代の民主主義社会では、市民の判断力に負っている。政治家を選ぶだけではない。おそらく、本当に平和をこの世に実現していこうとするのなら、まず自分の身近な世界から作っていくより他はないのだろう。自分の家庭で、あるいは職場で、友達関係で。どれだけ平和を実現していけるのだろう。

愛すること、許すことの難しさと言ったらどうだろう。怒りや恨み、悪口、邪心、貪欲に塗れている毎日ではないか。身近な世界で平和を見出していくことの難しさと言ったらどうだろう。争いや諍いの絶えない毎日ではないか。

アメリカのみならず、自国の歴史を正当化するのはどこの国でも同じこと。人間というものは、自らを正当化しないとやっていけないものなのだろう。
しかし、正当化していくということは、安定はもたらしたとしても成長はもたらすものとは限らない。正当化したい気持ちを抑えて、我が身を振り返るのはとてもきついことではあるが、その作業なくして私自身の成長はあり得ない。
そうやって自分を見つめていくことなしに、国というレベルで客観的に自国を見つめ直すなんていうことは、おそらくできないのだろう。

同じ過ちを繰り返さないために、自分を直視していくことを続けていきたい。その自分との戦いに勝つことなくして、自らの世界に平和をもたらすことはできないだろう。

どうか世界が平和でありますように。

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【2006/08/06 22:09 】 | 未分類 | コメント(2) | トラックバック(0) | page top↑
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