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人生の終わりの時・その9
寒い日が続きますね。

今日は子守の日で、昼近くに公園に子どもを連れて出かけたのですが、寒くて鼻水が出てきたので、これはヤバイと思い、遊びを切り上げておうちに帰ろうよ…と促しますが、「まだ遊ぶ!」の一点張り。なんとかなだめすかして家にたどり着くと、空腹と遊びたい未練と眠いのとのでまあ泣くこと泣くこと…。かれこれ30分くらいは泣いていたでしょうか。

ようやく泣き止むとオムライスをぱくぱく食べています。
その後は昼寝もせずまったりとし、室内で遊んでいました。自分の時間は…ありませ~ん! ようやく今もらっています。


さて、チェスターという犯罪者の体験の続編ですね。

「つぎにわたしは、ふわふわした雲の中のような平和な場所に入っていきました。そこで、宇宙がいっぱいの泡に満たされているのを見ることができました。泡のひとつに、男でも女でもないすべすべした肌の存在(エイリアンの一典型として描かれるような存在だった)が見え、わたしはその存在と一緒にいたいと強く思いました。それはわたし自身の無垢な姿でした。わたしもひとつの泡の中に入っていました。わたしは、無垢のわたしが入っている泡に手を伸ばして、それと一体になろうとしました。その間ずっと、わたしは宇宙との一体感を感じていました。また、他の泡と自分が深く関連しあい、目的を共有しているということも感じました。泡の中にはいろんな存在がいて、おたがいに触れあったり、溶けあってひとつになったりを繰り返していました。
 この間に、多くのことを感じました。すばらしい全体性、完全な充足感、目的意識、すべてのものに対する大きな愛などを感じました。このとき、すべてのものはわたしの中にあり、わたしはすべてのものの中にあるのだということがわかりました。
 同時にわたしは多くの洞察を得ることができました。わたしの泡が他の泡と一体になりたいと願いながら、どうしても一体になれない場合がありました。たがいに触れあうところまではいくのですが、間の膜が消えず、融合できないのです。わたしはこれこそ“地獄”の状態だと思いました。地獄では存在同士が分離されていて結びつくことができないのです。
 それからわたしは、どこかに引っ張っていかれるような感じがしました。それまで見えていた泡の映像は視界から消えてしまい、それに代わって、下のほうに何か小さな斑点のようなものが見えました。そっちに向かっていくと、その斑点みたいなものがだんだんはっきり見えてきて、それが三ヶ月くらいの胎児だということがわかりました。
 その胎児を包む羊膜の中にわたしが入ろうとしたとき、急にわたしは我に返り、すべての体験は終わっていました。気がつくと、わたしは刑務所の一室のベッドの上に座っており、静かな夜の闇に包まれていました。
 わたしは自分が清められ、浄化されたと感じました。喜びのあまり涙が流れました。涙を流しながら笑っていました。自分が命を奪ってしまった相手に対する愛で心が満たされていました。その相手と目的と方向が一致していると感じました。この体験以前、わたしはいつも不満で、一切に無感動、無感覚でした。懸命に社会に適応しようとしたのですが、心の弱さや未熟な性格のせいで、自分は不当に無視され、人から愛されもせず、助けも受けず、よい機会も与えられないとひがんで、フラストレーションからむちゃをやったのです」(271~273ページ)



この話にはインパクトがありました。
地獄の件(くだり)については、なるほどという感じでした。
江原さんがよく、愛の電池が切れると人間は誤作動を起こすなんて言いますが、その通りだなあと思います。
かつて、キリスト教の教会に通っているとき、牧師先生が、罪とは神から切り離されていることだ、なんて仰っていました。

チェスターの体験した異次元の世界は、詩的な美しい世界ですね。
全体性の感覚っていうのでしょうか。つながりあっているという世界。華厳経の世界を想起させます。

私たちが生まれてくる前の世界、そして死んだ後の世界というのは、きっとこのような世界なのだろうと思います。

じゃあどうして、こんなにも生きていくのが困難な娑婆世界に生まれた来たのだろうか―そんな素朴な問いがありますね。それは次回以降、考えていきたいと思います。

どうして臨死体験を取り上げたのかと言うと…
臨死体験の特徴的な要素の一つに、「人生のフラッシュ・バック」という現象があります。死に際に「走馬灯のように」人生を回顧する、というやつです。

この振り返りの目的は、どうも、納得のいく人生を送ることができたのか、人として生きていくべき道を生きてきたのか…などが問われることになりそうです。言葉を変えて言えば、愛のある選択をできたかどうか、という点がクローズアップされるようです。

おもしろいのは、裁判のように人を裁くようなものではない、ということです。有罪・無罪を確定するというようなものとはむしろ真逆に位置する。

そして、振り返りの結果、自分の課題を確認して、再び娑婆世界への再生を計画することもある…ということのようです。これも次回以降の話題ですね。

これらのことから見えてくるのは、どうやらわれわれには「死」というものが存在しない、ということです。その上で、どう生きていくのか。なにをして生きていくのか。意味は? 目的は…?ということになります。

「死」がない、という私の結論に、早計だと思われる方もいるでしょう。しかし、実を言うと書物で得た知識から結論づけた、というわけではありません。それらは補強はしてくれましたが、むしろ直観的な結論という感じです。私という個体が永続するかどうかというのも分かりません。

それよりも、私が出てきた生命の場(?)があって、やがてそこにまた帰っていく、という圧倒的な感覚があります。私にとって帰るべき故郷であり、源であり、目的であるような世界が、そこにはあります。かなり強い親愛の情があります。それがなんなのかは、私には正直なところ分かりません。ただはっきりと言えるのは、私にとってそれは空想とか願望のレベルではないリアリティのある世界だということです。


昨日はクリスマスでしたね。
イヴの日は仕事でしたが、まあカップルの多いこと多いこと…。私はキリスト教徒ではありませんが、どうせデートするなら教会のミサに二人で行けばいいのに、と思ってしまいます。キリストの生涯や言動に思いを馳せ、自分の生を見つめ直すいい機会ではないでしょうか。あの綺麗な讃美や独特の厳粛な雰囲気などもいいですね。うーん、頭カタイかな~。

イヴの日、ある方を介して亡父からのメッセージをいただきました。
私には孤独病(?)という持病があります。孤独感に苛まれやすいのですね。多くの人から愛情をいただいているのですが。忘恩の徒ですね。お前は一人じゃないんだぞ、というメッセージでした。クリスマスの最高のプレゼントでした。

写真は夕暮れ時の窓外の風景です。
この青い色はほんのわずかな間しか出ませんが、とても綺麗だと思っています。





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【2005/12/26 23:34 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
人生の終わりの時・その8
昨日の夜、久しぶりに弟に会いました。
1年ぶりくらいかな? 体調悪そうだったけど、充実してそうでなにより。学生生活を謳歌してください。

さて、「その6」で雄馬君がまた難しそうなコメントを入れてくれたので、どうしようかというところです。「自分を信じる」かあ。これは後回しだなあ~。簡単にはコメントできない話題だからさ。

そうそう、この「人生の終わりの時」シリーズ(?)は、HBKさんとのやりとりの中で、「厳しい審判」という言葉を説明したくて、始めたのです。どういう意味で使っているのかっていうのを、聞いてほしくてね。今の自分の考え方の根幹にあるものなので、意見も聞いてみたいと思っています。


前回の続き。
ロン・チェスターという服役者の話でしたね。自分のした行為を、被害者の立場から振り返ってみようとしたときに、意識が違う世界に飛んで行っちゃった。長い引用になります。

「逃走生活(別の罪で逃げていた:引用者註)」が十ヶ月ばかり続いていたとき、『口止め料をよこせ。よこさないとお前を警察に突き出すぞ!』という男がいて、そいつを殺してしまったわけです。逮捕された後、わたしはなぜあんなに残酷に人が殺せたのか、自問しはじめました。わたしの潜在意識の中に、何か人を殺したいというような隠された欲求があるのだろうか。わたしが子供時代から引きずっている何か心理的な重荷があって、それが爆発的な攻撃衝動となって現れるというようなことがあるのだろうか。
 被害者の男に味わわせた恐怖のことを考えると、わたしは息苦しくなり喉がつまりました。わたしは男をおどしたりはせず、静かな口調で冷ややかに男に質問し、男が答え終わるのを待って狙いを定めて撃ったのです。そのとき男に味わわせた苦痛を自分に味わわせたいと思いました。そうすれば、少しでも男の謝罪と罪滅ぼしになるだろうと思ったのです。
 射殺場面に焦点を絞り、森の中でショットガンを突きつけられたのは、自分であると想像しました。引き金が引かれ、銃弾が自分の体に入ってくるのを感じたとき、何か不思議なことが起こりはじめたのを感じました。自分でもコントロールできない妙な感覚が押しよせてきました。何か知らない不思議な力が働き始めたのをはっきり認識して、思わず後ずさりしました。この“何か知らないもの”に身を委ねるべきか、それともそれから逃げ出すべきか迷いました。
 わたしは結局、その何か知らないものに従うことを選びました。何もかも捨てて、わたしはその力に身を完全に委ねました。体がぞくぞくする感覚があって、わたしは意識の極限まで持っていかれるかんじがしました。いつのまにかわたしは、瞑想をはじめていました。不思議な感じが戻ってきて、すばらしい体験の中に引きこまれていきました。目を閉じているのに、目の前には見たこともない世界が広がっていました。
『見よ、そして学べ』という声が聞こえました。私の体は臨終の苦しみの中にあるかのように身もだえしはじめました。しかし苦痛はなく、ただしびれたような動きの感覚があるだけでした。今度はわたしの体がガタガタ震えだし、急激な動きの感覚がありました。自分が猛烈なスピードで何かに向かって突進しているのだということがわかりました。宇宙に向かって吸い込まれていくような感覚でした」(270~271ページ)


長くなるので、今回はこれくらいにしておきましょうか。
この後もチェスターの異次元体験は続きます。その世界で、彼はどんな
体験をしたのでしょうか。次回以降に書きます。


ところで、最近アメリカのカリフォルニア州で、ある死刑が実行されました。凶悪犯罪を犯した人間で、死刑判決が出ていたのですが、獄中で改心して更生活動を展開していた人物のようです。そのため、無期懲役に減刑するよう住民運動も起きていたのですが、A・シュワルツェネッガー知事は、死刑にすることを最終的に許可したそうです。

この判断を、私は残念に思いました。
凶悪犯罪を犯した人間に対して、「死刑だ!」と思う感情は分かります。私の大切な人が殺されたりでもしたら、犯人を私は殺そうとするかもしれません。自制できる自信はありません。
しかし…たとえ犯人が死刑になったとしても、私は嬉しくありません。それで大切な人が生き返るわけではありませんし、死刑になったらそれでおしまいではありませんか。
それよりも、一生監獄にいて、自分の行為を深く深く懺悔してほしいです。そして、残された自分の人生の時間の中で、なにができるのかよく考えて、行動してほしい。できれば自分と同じような犯罪者が二度と社会に出てこないよう、更生や啓発に努めてほしい。それがせめてもの慰めです。

凶悪犯罪を犯した人間の言葉や生い立ちを報道などで知るたびに、暗黒の孤独の闇を感じます。その犯罪行為そのものは、厳しく弾劾されていいでしょう。しかし、責任を犯罪者一人に押しつけるのは酷だと思います。彼を孤独の淵に追いやってきた周りの人間関係、社会があります。そこを変えていかない限り、第二、第三の凶悪犯罪者はまた出現してくるでしょう。

犯罪(者)にどう対応していくか、ということで、その社会の成熟度が分かります。死刑を濫発している国もありますが、社会としての成熟度がかなり低いと言わざるを得ません。犯罪(者)というマイナスをプラスに変えていける社会こそが、成熟した社会だと思います。

私自身が、どれだけ身近な世界で「孤独ではない」関係を築いていけるのか。問われています。

殺伐とした話題になりました。
のんびりとした写真をアップしてみました。

DH000038.jpg

稲村ガ崎の交差点(2004)
【2005/12/22 22:29 】 | 未分類 | コメント(3) | トラックバック(0) | page top↑
人生の終わりの時・その7
「その6」に入れてくれたコメントを読んでいて、あれこれと考え込んでいます。

「こうなりたい自分」と「そうなれない自分」。言い換えると、「理想」と「現実」。

「こうなりたい」ならまだいいけど、「こうならねばならない」となった途端、息苦しいものとなってしまう。


厄介なのは、自分への理想が高いと、他の人への理想も高くなること。
理想が高いのはいいと思うのだけれども、同じく「寛容さ」というものも大きくなっていかないと、すぐに「許せない」という感情に苛まれてしまう。

裏を返せば、自分を許せなければ、他の人も許せないということ。
自分には厳しく、人には優しくって、実は不可能だと思っています。
自分に厳しい人は、人に厳しくなるものだと思います。
中には自分に甘くて人に厳しいという最悪のパターンもあるかもしれませんが(^^j)


理想どおりにいかない自分自身を許せるか、認められるかって、けっこう大きな問題だと思っています。
それって、突き詰めていけば、自分の存在を肯定できるかっていうところまで行っちゃうんじゃないかな? 自分が「生きてていいんだ」っていう感覚。

臨死体験を体験した人は、その「無条件の肯定」を感じて生き返ってくる人が多いと聞く。それって、「生きてていいんだよ」っていうメッセージでもあるし、もっと言えば「必要としているんだよ」っていうことなのでしょう。

でも、現世で生きているわれわれに負わされている大きな課題というのは、そういう愛を―無条件の愛を忘れて生きていかなければならないということ。この世に生まれ出てくる前に、誰しもがその愛の世界にいたはずなのに、悲しいことにそれを忘れて生まれてくる。そして愛に飢えて生きていかなければならない。親に求め、異性に求め、子どもに求め、友達に求める。擬似的なものを、お金やモノ、地位や名誉に求めるかもしれない。

だれしもが、孤独の闇の中で生きていくことを、現世で課せられていると言ったら言い過ぎでしょうか。

しかし、その闇があるからこそ、光が明瞭になるのかもしれません。愛することの意味や大切さを、学べるのかもしれません。

そうは言っても、そのプロセスは地獄の道と言ってもいいでしょう。
あんなことをされた相手を許していいのか。なぜ許すのか。
とても許しがたい人間を、許すことの苦痛。

「怨憎会苦(おんぞうえく)」ではありませんが、会いたくなくとも会わねばならない苦痛。

逆に、自分が相手に与えた傷に気がついたときの苦痛。
直接相手に謝罪できればまだいいかもしれません。
しかし、なかなか現実にはそうできないもの。

マーフィーは、その著書の中で、許す(forgive)とは代わりになにかを与えること(give for)だと言います。憎んでいる相手に愛を与えること。神の祝福を祈ること。彼はそう言います。

それは、相手のためではない、とも言います。自分自身のために。憎しみという牢獄から自分自身を救うために。

最初は私も抵抗がありましたが、やってみたら、心が軽くなるのが分かりました。


例の、『バーバラ・ハリスの「臨死体験」』に、こんな話が載っています。

ロン・チェスターという無期懲役の囚人がいました。
彼は、殺人の罪で服役していました。相手を自分の目の前で、ショットガンで冷静に撃ち殺すという「非情な男」だったそうです。

あるとき、独房に座っていると、突然、深い自責の念にかられたそうです。なにか罪を償う方法はないかと考えました。そこで、被害者の立場になったつもりで、できるだけリアルにそのときのことを想像しようとしました。そのとき、思いがけず別の時空に入り込んでしまったそうです。ちょっと長くなりますが、そのときの本人の手記を引用します。

「わたしは、自分がした行為を正面から直視してみようと思いました。自分は何をしたのか。自分はなぜそんなことをしたのか。そしてまず、わたしが殺した男が、殺される寸前の一瞬一瞬どんな苦しみを味わっていたのか、そして、殺されるときにどんな苦しみを味わったかを、自分でも味わってみようと思ったのです」(270ページ)

おっと、ここで通勤時間になってしまいました…。

昨日の夜、この記事をちょっと書いたところで子どもを寝かしつけて、寝たらまた書こうと思っていたのですが、気がついたら朝の6時でした~(;;) 続きはまた夜書きます。
【2005/12/21 06:42 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
人生の終わりの時・その6
今日は新宿で飲んできました。

帰り道、新宿駅南口のサザンクロスを歩いてきたのですが、イルミネーションがけっこう綺麗でした。通行人と言えばカップルばかりなのでそれには閉口しましたが…。もっとも、当人たちは携帯でパシャパシャと写真を撮っている私を「なんだ、このイナカ者のオッサンは…」と思っていたかもしれませんが(^^j)

20051217225208.jpg



先日の記事で、「自分自身を許す」「自分を愛することができない」なんてことを書きました。

改めて考えたのですが、いったい「自分自身を許す」ということはどういうことなのか。また、「自分を愛する」ということはどういうことなのか。考えてしまいました。

これらのフレーズというのは、ともすれば自己陶酔というか、ナルシシズムというか、そういうニュアンスと裏腹なような気がします。

自分勝手で人を平気で傷つけてきたような私が、そう簡単に自分を許してしまっていいのだろうか。傷つけられた相手は不快に思うのではないか。

自責の念というのは心身に毒だということは分かっている。
自分を責めていても始まらない。これからどうしていくかが問題だ。

しかし、そう切り返してしまっていいものか。
自分が相手を傷つけたという事実はどうなるのか。

そのことを凝視してみても、なにもならない。
懺悔してなるべく同じ過ちを繰り返さないようにしていくしかない。
それでも、また同じような過ちを繰り返してしまう…
そういう罪深い存在なのだと思います。

「贖罪」というテーマは、私の中で複雑なものがあります。
過ちなくして生きていける人はいないでしょう。
過ちを犯しながら、苦しんで生きていく存在。
苦しみながら、苦しまないように努力していく存在。

「自分を許す」ということは、けっして自分に甘くする、なあなあで済ませるということではないのでしょう。

自分自身を、他の人を許すとか、許せないとか判断を下せる存在ではない、ということなのかもしれません。われわれが生きているということは、それ自体ですでに許されているということ。過ちを犯す存在だけれども、それでも許されているということなのでしょう。

ただ、その過ちによって結果的に苦しむのは当の自分自身しかないわけで、だれもがどうしたら苦しまずに生きていけるのか、模索して生きていく課題を負わされているのかもしれません。



前置きが長くなりました。

バーバラ・ハリスの「臨死体験」の続きです。

ハリスが臨死体験の後にふつふつと湧き上がってきた感情というのは、「人を愛したい」という感情だったようです。それはいったいどんな愛だったのでしょうか。

「あの空虚感はわたしの中に生まれた何ものかによって満たされた。それは愛としか呼びようがないものだった。といっても、今まで考えていたような愛ではない。今までわたしが考えていた愛はシャーウィン(夫:引用者註)とわたしに結婚の決意をさせ、おたがいに相手を所有したいという気持ちにさせる、そういう愛だった。その愛のおかげで、わたしたちはおたがいに忠実だった。わたしたちが持っているいろいろなものを愛していた。子供、家、飛行機。所有するものを愛していた。地域社会に溶けこむこと、社会のために働くこと、ガール・スカウトの指導者でいることを愛した。こういう愛もみな大事なことには違いないが、今度のこの愛は新しい、体からあふれんばかりの豊饒な愛だった。そのことを考えるたびに涙がこぼれるような愛だった」(56~57ページ)

その後彼女はその愛を実践していく職業として、「呼吸管理士」という職業に就いたようです。臨床活動を通して、死を間近にした患者さんたちに自分の体験や愛を伝えていきました。その活動により、今まで味わったことのないような充足感を感じるようになったそうです。

この話は、ハリスの経験が、彼女にとってかなり根源的な経験だったということだけでなく、おそらく人間にとって普遍的な根源的経験であるということを物語っているのではないでしょうか。

簡単に言えば、愛を感じ表現し伝えていく、表していくということが、幸福や充足感といったものを与えてくれる、ということです。

恋愛や友情、子育て、親子の関係、夫婦の関係などなど、言い換えれば自分の愛をより大きく表現していく、感じていく、学んでいくための機会ということになるのではないでしょうか。そしてその多くは苦しみという経験を媒介にして、より深い愛の世界へと誘われていくものなのではないでしょうか。

感動というものは、多かれ少なかれ、愛というものに触れることによって起こってくるものでしょう。それは、人間にとって根源的な経験なのだと思います。

そういう意味では、人間というのはかなり精神的な存在だと言えるでしょう。

先に触れた「自分を許す」という話題ですが、言い換えると自分はより根源的な愛に包まれている存在である、という自覚をどこかで感ている。だからこそ、そう思えるということもあるのではないでしょうか。

抽象的ですね。うまく言葉になりませんが…

じっと耳を澄ませていると、その愛というものは、だれしも感じることができるものなのではないか-と思っています。
【2005/12/17 23:30 】 | 未分類 | コメント(4) | トラックバック(0) | page top↑
人生の終わりの時・その5
昨日、子どもと川崎大師に遊びに行きました。

以前から、どういうわけか川崎大師が好きで、ときどき参詣に行きます。行くとわりとすっきりするので、相性がいいのかもしれません。

また、川崎の町というのも、私が生まれ育った町の雰囲気に似ているところがあり、親近感を覚えます。

私が育った町は、工場と住宅が軒を並べてひしめき合っているような町で、お世辞にも上品な町とは言えませんでした(^^j) 下町ですね。がさつな町で雑菌のように生きてきました(--j)

川崎大師のそばに「住吉」というお土産屋さんがあり、その店のくずもちがとてもおいしいんです! いつもお土産に買って帰ります。値段もそれほど高くありません。

お大師さんから歩いてすぐのところの「大師公園」という大きな公園があります。小さい子どもが遊ぶには打ってつけの場所で、参詣の後に遊びに行きました。ちょっと変わった子なので(?)、激しく体を動かして遊ぶとということはしないのですが、水流に木の葉や棒をポトリと落として「おフネ~」だなんて言って、その流れる様をじっと見ていました(笑)

20051215081659.jpg


帰りの車の中で彼は爆睡です…


さて、「臨死体験」の続きですね。

『バーバラ・ハリスの「臨死体験」』(講談社)という本があります。立花隆訳です。

バーバラ・ハリスはアメリカのやや上流階級に属する一人の主婦です。長い間難病を患っていたのですが、ときどき危険な状態に陥ることがあります。

あるとき、昏睡状態になったときに「体外離脱体験」をしました。自分が病院のベッドの上に漂っていて、眼下に横たわっている自分自身が見えます。時間と空間が無限に拡張していくように感じられ、亡くなった祖母が近くにいることが分かりました。その祖母からはたいへんかわいがってもらっていたので、懐かしさや親近感がこみ上げてきます。祖母の愛に包まれているのが分かりました。それから再び自分の体に戻ります。

それから数日後に、再び「体外離脱体験」が起こります。
そのとき、自分の周りには無数の泡があり、一つ一つの泡の中に、過去の自分の姿がありました。自分のすぐそばには、ガイド役のエネルギー体がいて、一緒に自分の過去を振り返っていました。

バーバラはそれまで、厳格な母親と気弱な父親に愛されずに育てられ、自分を犠牲者だと思いこんでいました。ところが、泡の中に見える父母の姿はまったくちがっていました。自分を叱りつける母親。無視する父親。その姿は変わりませんが、どうしてそのようにするのか、その背景のようなものが見えたのです。母親の痛みや苦悶、父親の無力感などが見え、「だからそうだったのか…」とその行為を理解することができました。

自分は愛されていない、と思い込んでいたバーバラは一生懸命「いい子」を演じてこなければなりませんでしたが、そういう自分自身をまた卑下してもいました。そのことが、あらゆる人間関係に影響を及ぼしていることを知り、物事の認識がガラリと変わったそうです。

それまでの自分自身の受け止め方、感じ方、接し方というものの連鎖や因果関係が、はっきりと見通せたのでしょうね。

次々に人生の重要な場面を「泡」の中に見ます。あらゆることを理解していくにつれ、「自分自身を許す」ということができるようになりました。本文からの引用です。

「人生の再現が終わったとき、自分がひとつの罪を犯してきたことに気がついた。自分を愛するということができないという罪を」(43ページ)

次回、この体験がどのように彼女の生き方を変えていったのかを書きます。
【2005/12/15 08:49 】 | 未分類 | コメント(2) | トラックバック(0) | page top↑
人生の終わりの時・その4
3歳の子どもがいるのですが、夜9時過ぎに寝かせに入って、そのまま朝まで一緒に寝てしまう日々が続いています…。今日はがんばろう!ということで、前回の続きです。
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食いしん坊のわが息子


今日は、「臨死体験」の中身ですね。

1970年代に、アメリカの医師、レイモンド・A・ムーディが「臨死体験」のケースを整理して発表しました。150例近くの臨死体験者から聞き取り調査を行い、共通する要素を見出したのです(『かいま見た死後の世界』)。それを抜書きしていきますと…

①自分が死んだと感じる。痛みが消失し、安らいだ気分になり、体外離脱現象が起こる
 
→医師が「ご臨終です」と宣告したりするのを聞いていたりする。 病室の天井付近から死んだ自分を見ていたりする。


②別世界への移行

→暗いトンネルを抜けていったり、階段を上って行ったりする。


③「光の生命」との出会い、人生の回顧

→臨死体験者の宗教的背景から「イエス」「神」「ブッダ」「アッラー」など表現されるが、光と愛に満ちた「至高の存在」とも言うべきなにかと出会い、それまでの人生を回顧する。
 スクリーンで映画を見るように、人生の中での出来事、人間関係などを振り返る。人間関係では、自分とそのとき関係してきた人々が、自分の言動によってどのような思いをしたのか、我がことのように伝わってくる。その振り返りの過程は、「光の生命」が自分を責めるような調子ではなく、そのときはどうすればよかったと思うか、やさしく問いかけて一緒に考えるようなかかわりの中で行われる。


④現世への帰還

→亡くなった縁戚者あるいは「光の生命」から戻るように諭されたり、やるべきことをやらねば、と自分で思って現世へ帰還する。


まあ、大まかに言うと以上のようなプロセスを経験する、ということをまとめたのですね。人によってトンネルを通らなかったり、「光の生命」に出会わなかったりということもあるようですが、それに類似した経験は多かれ少なかれあるようです。

興味深いのは、人種や社会階層、文化、国籍がそれぞれであっても、だいたい似たような経験をする、ということです。普遍性があるということですね。

こうして生還した臨死体験者たちは、当然のことながらかなりのインパクトを受けるために、生き方や考え方に変化が現れてきます。中には劇的に変化してしまう人もいます。

どういう変化を遂げたのか、ということは次回以降書いていきます。

ところで、臨死体験は脳内の化学物質によって引き起こされるという説もあります。臨死体験をしているときに、なんらかの化学反応や神経反応が観測されるということは、あり得ることだとも思います。

しかし、すべての体験を脳内の活動で説明するのも無理があることも事実です。科学的には解明されていない、というのが現在の状況です。

臨死体験者がこの世に帰還して変化することの一つに、「死が恐くなくなる」というものがあります。彼らは、その体験の中で、死が終わりではない、ということを確信するようですね。そのことも、生き方の変化につながっていきます。具体的には次回書きます。

昨日、途中まで書いて結局また子どもと寝てしまいました…。今、この記事を朝の6時に書いています。白々と夜が明けてきました。


昨日は父親の命日でした。

父親がそばにいるように感じることがあります。
目に見えるわけではありません。しかし、私が父に話せば、その気持ちが伝わっていくでしょうし、また父の気持ちも、なんとなくですが伝わってくるように思います。一緒に生きているんでしょうね。

娑婆のご縁が尽きたとき、また父に対面できることを楽しみにしています。
【2005/12/13 06:30 】 | 未分類 | コメント(4) | トラックバック(0) | page top↑
人生の終わりの時・その3
いよいよ寒くなってきましたね。
冬の朝は起きるのがつらいですね…。しかし、冬は嫌いではありません。冬には自然の壮大さを感じることができるからです。


職場からの帰り道。

暗い夜空を見上げると北斗七星やオリオン座がはっきりと見えます。寒いとよけいくっきりと見えるようですね。


また、朝夕の富士山。

朝の富士山は、お日様が昇ってくると徐々にその輪郭をはっきりさせながら、富士山の雪の白さを照り返してくれます。

一方の夕方。日が沈んでいくにつれて赤く染まっていた西空が濃紺の帳を下ろしてくると、富士山から丹沢の至る山々の稜線がさらにその藍色を濃くしていき、やがて夜の闇と一つになっていきます。


冬の海。

夏の間は喧噪に揉まれて落ち着きを失くしていた湘南の海も、冬になるとひっそりとその清澄さを呼び戻します。

鎌倉の稲村ガ崎から見える冬の景色が好きでした。海底の岩礁が見通せるほどのエメラルド・グリーンで彩られた海が広がっています。空には雲一つなく、富士山から箱根、伊豆の山々が見渡せます。たまに大島まで見えることがあります。


冬の厳しい寒さが自然の美を際立たせるというのは、示唆的でもありますね。人もその厳しい試練に耐えているとき、美しく見えるものなのかもしれません。

20051209185038.jpg

稲村ガ崎から見た江ノ島(2004)


さて、前回はロスのことを書きました。
今日の話題は「臨死体験」です。
英語ではNear Death Experienceと言います。

定義としては、「事故や病気などで死にかかった人が、九死に一生を得て意識を回復したときに語る、不思議なイメージ体験」(立花隆)ということになります。

研究の発祥は、例によってアメリカです。1970年代から取り上げられてきたようです。

それにしても、アメリカという国は不思議な国ですね。
科学文明、物質文明の最先端の国でありながら、この手の(?)研究にも積極的です。

もっとも、そうであるからこそ、物質文明がもたらす矛盾や限界にも敏感なのかもしれません。かの国の進取の気象に富んだ国民性もあるのでしょうが、精神的世界への飢餓感というのも相当にあるのではないでしょうか。

臨死体験というのは、科学文明の産物であるということもできます。
と言うのは、それまでの医療技術では死に至っていたケースでも、技術の進歩によって蘇生するケースが増えてきた結果、「臨死体験」を語る患者が続出することになったからです。

現在、アメリカを中心に臨死体験を科学的に検証しようとしている学術団体があり、国際的な学会にもなっています。
日本では1990年代に、アメリカか「輸入」される形で注目を集めるようになってきたようです。

「死の世界」から帰還した彼らがいったいどんな世界を見てきたのでしょうか。
その内容については次回書きたいと思います。
【2005/12/09 18:35 】 | 未分類 | コメント(4) | トラックバック(0) | page top↑
人生の終わりの時・その2
さて、否応なく死に向き合わされた私でしたが、自ら考えたり、本を読んだり、宗教に足を踏み入れたりと、どのように「死」を受け止めたらしいのか、頭を悩ませる日々が続きました。

その過程で、ある本に出会いました。
エリザベス・キュブラー・ロスという人の書いた、『死ぬ瞬間』というシリーズです。

ロスは、アメリカの精神科医です。たしかスイス系アメリカ人だったかと思います。たとえば末期のガン患者など、人生の終末を迎えようとしている人たちのケア―終末医療の第一人者です。

その臨床の経験から、末期患者の死を受け入れるプロセスを以下に整理しています(解説は私の言葉でまとめましたので、著者の言葉とは違っているかもしれません)。


第1段階・「否認」
「そんなことはあり得ない」と、死を受け入れられない。なるべく死のことについて考えるのを避ける。

第2段階・「怒り」
「どうして私が死ななければならないのか」と逆ギレする。生き残る人や健康な人を嫉妬し、恨む。

第3段階・「取引き」
「なんでもするからどうか命だけは…」と神仏にすがる。この段階を経ない人もいる。

第4段階・「抑うつ」
いよいよ死が避けられないことが明らかになってくると、オチまくる。
今までの人生の後悔ややり残してきたことに対しての未練にも苛まれる。

第5段階・「受容」
迫り来る死を静かに受け入れる。残りの時間を悔いのないように過ごそうとする。


もちろん、この段階説はあくまでも理念形であって、「受容」まで至らずに亡くなっていく方もいますし、あっさりと死を受け入れられる方も実際にはいるでしょう。典型ということです。

ロスに言わせれば、末期患者のケアをする人は、最終段階の「受容」を目指してかかわることが望ましい、ということになります。まあ、当然一筋縄ではいかないわけですが…。人間、往生際が悪いのが当たり前。シルバー・バーチをして「心の準備のない者が次から次へと霊界に送り込まれてくるので大変迷惑している」と言わしめることになります(^^j)

ちなみに、シルバー・バーチというのは、霊界からのメッセンジャーです…。その「霊言」が潮文社という出版社からシリーズで出ています。

ロスの報告で面白かったのは、主体的に生き、さらに精神的な価値に重きを置いてきた人ほど死を「受容」するのがスムーズだ、ということです。

自分のしたいこと、大切に思うことを大事にしてきた人や、人間関係を大切にしてきた人というのは、死を受け入れやすい、と言うのですね。
逆に言うと、周囲に流されて生きてきて、カネだモノだと騒いできた人ほど往生際が悪い、ということです。

このことから、ロスは死を「人間の成長の最終段階」と位置づけます。
つまり、死と向き合うことによって、人としてなにが大事なことなのか、気がついて実践していくプロセスなのだと言うのです。

ロスはある患者の話を紹介します。

自分は数十年自分で考えることをしてこなかった。たえず周りの価値観や思惑に流されて生きてきた。死を宣告されて絶望のどん底に陥ったが、残り数ヶ月でも、自分の価値観にしたがって、人間関係を大切に生きることができた。それで私は悔いはない。生きるに値する人生だった―そんなことを言って、その方は亡くなっていったそうです。

この話にはインパクトがありました。
人間にとって、充実感の味わえる生き方の一端を知ったように思いました。

ところが、同じような結論を違う方面からも得られることになったのです。それは次回以降に書きます。

ちなみに、ロスは後年いわゆる死後生を堂々と主張するようになってきます。死に行く人々を看取っている間に、そのように確信するに至ったようです。先に亡くなった親類縁者が「お迎え」に来た、という例や、末期の患者が直観的に死後の生を「知る」という例に遭遇してきた経過があったようです。河合隼雄はそのことを「早計だ」と言って批判していましたが…。




【2005/12/07 19:49 】 | 未分類 | コメント(4) | トラックバック(0) | page top↑
人生の終わりの時
いきなり暗く来てみました。

本当は“『孔子』その4”と書くつもりだったのですが、昨日HBKさんの入れてくれたコメントを読んでいて、このタイトルで書こうと思いました。

前回書いた、「厳しい審判」。これには、ちょっと訳アリです。

私が18歳のとき、父親が急逝しました。もうすぐ命日になります。
それまで「死」というものを深くは考えていなかったように思いますが、以来、「死」というのは避けても避けられない命題として向き合わされてきました。

父は、父という存在は消えて無くなってしまったのだろうか。
それとも、「魂」や「霊」としてまだ存在し続けているのだろうか。
古典的とも言える問いですね。

父が亡くなったその日、私はこんな夢を見ました。
深い深い谷があって、私は「こちら側」の崖の上にいます。そこから、「向こう側」の崖に向かって、一本のロープウェイが走っています。
ロープウェイと言っても、滑車に板が吊り下げられているような、そんな簡易なものです。
その一枚の板の上には、私たち遺族が座っていました。私一人が立ってその板を操縦しなければなりません。板は、「こちら側」から「あちら側」へ向かって走っていきます。板は重く、操縦も難しくて「もうダメだ」と何度も挫折しそうになりますが、遺された家族に励まされてなんとか「向こう側」にたどり着きます。

やれやれと思っていると、父親がニコニコと笑って私を迎えてくれました。「お父さん!」と私が叫ぶと、彼は穏やかな顔をして私を見ていました。ああ、解放されたんだな、違う世界で生きているんだな、ってそのとき思いました。それは確信に近いものでした。

かと言って、すべてがすっきりと解決したわけではありません。
あいかわらず死の問題は私にとって大きな問題でした…。

ここは丁寧に書きたいところなので、順々に追って書いていきたいですが、今日はプロローグくらいにしておきましょうか(^^j) 死生観の遍歴をたどっていきながら、今の私自身の生き方や考え方を再点検してみたいと思います。


ところで…
今朝の富士山は雪化粧を施していてとても綺麗でした。
学生時代、富士山の麓のセミナーハウスで夜を徹して議論していたことを思い出します。ちなみに、そのことを題材にした小説を書いて、ある文学賞に応募したことがありますが、見事にボツになりました…。

その小説の中で、「ゆとり教育」の是非を簡単に取り上げました。
実は、教育論議というのは大変難しいものがあります。というのは、きちんと調査すると言っても客観的な調査というのが難しいということもありますし、主観的に論議されることが多いので、どこまで実態的に議論ができるのかということがかなり困難なのです。

「ゆとり教育」の実態はどうだったのか。ある教師は手を抜いたことがあるかもしれません。一方では余裕のできた時間を補習に費やした教師もいるかもしれません。
遊ぶ時間が増えてのびのびと育った子どももいるでしょうし、逆にお稽古ごとが増えてもっと息苦しくなった子どももいるかもしれません。単純に「ゆとり教育が子どもをダメにした」とは言えないのが実態だと思います。客観的で具体的な根拠、事例の収集は必須でしょう。

なんでも日教組のせいにしたり、あるいは文科省のせいにしたりという人も中にはいますが、それもオカド違いでしょう。それぞれどこがどう悪かったのか、逆に良かったのか、丁寧に検証することが必要です。

今日たまたま寺脇さんという文科省の役人の方のコメントを新聞で拝見して、そんなことをあらためて思いました。ちなみに寺脇さんは役人にしては柔軟な方だなあという印象です。

教育は価値観のからむ問題なのでややこしいです。
おいおいに教育問題については書いていこうと思いますが、大・大・前提として、現実をリアルに直視し、それを集積した事例などから考えるのでなければ、教育論議は空理空論に陥ることは必至です。単純な議論で国の教育が動いていくことに危惧しています。


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豪徳寺の参道(2004)
【2005/12/05 22:17 】 | 未分類 | コメント(2) | トラックバック(0) | page top↑
「一灯庵」って?
ブログを書こうを思ったとき、タイトルをどうしようか悩みました。

最初「平成徒然草」にしたのです。でも、もしかして…と思ってこのタイトルで検索すると、まあ何件もあるはあるは…。有名どころでは、最近のテレビではあまり見かけませんが、あの陰陽師の石田千尋さんが同名のブログをお書きになっているではありませんか! これはマズい…ということで急遽変更。考えた末、「一灯庵日記」にした次第です。坊主クサいタイトルには変わりありませんが…。

そこで「一灯庵」の由来ですが…
以前、安岡正篤(やすおか・まさひろ)さんの本を読んでいたときに、「一灯照隅行(いっとうしょうぐうぎょう)」という言葉を知りました。もともとは最澄さんの言葉らしいですが。意味するところは、自らをその分に応じて一つの灯火とし、暗い濁世の与えられた一隅(ひとすみ)を照らしていく、そういうものを目指していく行い(修行)。一人一人が灯火となり、それが広がって、仏の国が現出していく―という願いでもあるようです。

「一灯照隅行」という言葉は、私のこの世での誓願です。自分に課した、それは厳しい誓願です。明るくするどころか余計にこの世を暗くさせたりして…(@@) そうならないよう、ガンバリます(--j)

以前、「タラバガニ」というタイトルで書いた記事に、sisiさんが書いてくれたコメントがあります。

「…だから人のああいうところが嫌だって
思っていいし、
相手のありのままを
認めなくていいと思う。

でもごくごくまれに
相手のああいうところも
ああいうところも嫌だけれども、
でもそれでもやっぱり相手の根本は
大好きでたまらない
という気持ちになる時がある。

そういう気持ちが、もしかしたら
結局は相手の存在を
深く愛するというところに
つながっているのかもしれない。」

そしてそういう気持ちを
ごくごくまれにもらうこともあって
そんな時は奇跡のようで
例え一瞬でも、孤独から救われる思いです。」


なるほどなあって思ったんです。

それでふと思ったこと。

愛されることも、愛することもない闇の暗さって、どれくらいなのだろうか。
また、自分は、「相手の根本は大好きでたまらない」という愛し方をしているだろうか。あれがやだ、これがやだばかり言っていないだろうか。

sisiさんが言うように、自分の「根本」みたいなところが愛されていると思えるのは、日常生活の中ではそうそう滅多にあるものではないように思います。でも、そのことを感じられるとき、深い自由の感覚と、「自分は生きてていいんだ」みたいな感覚も味わえるような気がするのです。最大の幸福の一つと言っても過言ではないでしょう。

そう思えるような日常の関係を、私がいかに築いていけるのか。
きわめて卑近な現実問題であり、なおかつ崇高な理想です。

それは私にとってエゴイズムとの闘いに他なりません。

私の中にどれだけ光を見出せるのか。

その程度によって、他の人の中にどれだけ私が光を見出せるかが自ずと決まってくるでしょう。
また周りの人がどれだけ私の中に光を見出せるかが定まってくるでしょう。
私が築いてきたものの真偽が明らかになるでしょう。それは厳しい審判になるでしょうが、止むを得ません。

「一灯照隅行」というのは、私が私の中にどれだけの光を灯し、暗闇をなくしていけるのか、という挑戦なのです。

写真は先日明治神宮を散歩したときに撮ったものです。
なんとなく、この写真をアップしてみたい―そんな気分です。

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【2005/12/03 23:28 】 | 未分類 | コメント(6) | トラックバック(0) | page top↑
根津美術館の午後
ある方から筑前高取焼の展示をやっていることをご紹介いただき、午後に東京の南青山にある根津美術館に行ってきました。

あいにくの曇り空でしたが、貴重な時間を過ごさせていただきました。

表参道の駅を降りて歩いて行ったのですが、え?ここは日本なの?と呟いてしまいました…(^^j) 南青山ってオシャレな街なんですね~。恥ずかしながら初めて知りました…。お上りさん状態です。私のイナカ者度がバレてしまいましたね~。プラダだとかカルティエだとかのお店が並んでいて、仕立ての良さそうな服を着たオジ様やオバ様が街を闊歩しておりました。

しばらく歩くと、美術館が見えてきました。お客さんはさすがにお茶をやっているような感じの方が多かったですね。

説明書によると、「高取焼は筑前福岡藩の藩窯として、今からほぼ四百年前の江戸時代初期に開窯しました」とのこと。今回の展示は、茶の湯の器を集めたもの。
 http://www.nezu-muse.or.jp/tenrankai/tenrankai.html

焼き物はまだかじり始めたばかりで詳しいことは当然分かりませんでしたが、個人的には掛分(かけわけ)っていうんですかね、色が比較的はっきりと分かれている紋様の器がとくに気に入りました。全体的にシブい感じでとても感じ入りました。

中国古代の青銅器も常設展示されていたのですが、中国の物は壮麗というか、華やかな印象を受けました。私としては、高取のようなワビサビの効いたようなものがやはり性に合うようです。

今回の展示会を紹介してくださった方が、根津美術館の庭園も薦めてくださったので、帰りに庭園を散策してきました。紅葉の真っ盛りで、その鮮やかなこと鮮やかなこと。

敷地もけっこう広かったです。中池を取り囲むように樹木が生い茂り、東屋や石仏、石灯籠、鹿(しし)おどしなども配されていました。イチョウの明るい黄色と、モミジの紅のコントラストがきれいでした。

帰り道、さっそく書店で茶道に関する本を買ってしまいました~。読むのが楽しみです。

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「一灯庵」の意味は…また今度にします~

【2005/12/02 20:58 】 | 未分類 | コメント(2) | トラックバック(0) | page top↑
井上靖『孔子』その3
このブログを読んで下さっている私の周囲の方のコメント:
「漢字が多い」
「説教くさい」
「レジメっぽい」
「観音寺らしい」
「生きづらさ系」
「よう分からん」
 …などなど。あたり前の話だけど、人によって感想が違うんですね~。ゴーイング・マイ・ウェイでばく進させていただきます。

さて、今日は前掲書の3回目。

「子(註:孔子)はもう一つ、“信”という字についても、お話をなさいました。
―人間は嘘を言ってはいけない。口から出すことば、なべて本当のこと、真実でなければならぬ。これはこの現世で生きてゆく上での、人間同士の約束、暗々裡の契約である。人間がお互いの言うことを信ずることができて、初めて社会の秩序というものは保たれてゆくのである。
―このように、人間が口から出す言葉というものは、“信ずるもの”であり、“信じられるもの”でなければならない。それ故に“人”という字と、“言”という字が組み合せられて、“信”という字はできているのである」
(281~282ページ)


これはまた厳しい孔子の言葉ですね。
「真実の言葉」なんて、いったいだれが語っているのでしょうか。

本当は利己的な動機なのに、相手に恩を売ったり、いい人を演じたりして言うことってありますよね。
「お前にとっていいと思ってやった」とか「あなたに余計な心配をかけたくなくて」とかとか。
でも、本当は自分の劣等感を晴らすためだったりとか、自分の不安を軽くするためだったりとか、案外そんな動機のこともある。それが「相手のため」「全体のため」などの美名のもと、相手だけではなく自分自身も騙されて酔いしれてしまう。そんな怖さがあるように思います。どこかで人間は自分のことを正当化したいっていう欲望が根強くあるのでしょうね。

たしかベイトソンだったと思いますが、言語のコミュニケーションとメタコミュニケーションのギャップが精神障害の因となるみたいなことを言っていた記憶があります。たとえば親が子どもに「愛している」と口では言っておきながら、実際はまったく面倒を見なかったりとか。子どもがなにを信じていいか分からなくなるんですね。

簡単に言えば、言葉と行動が一致している場合はその人への信頼感が増し、言葉と行動がかけ離れている場合には不信感が増す。分かりやすい話です。

しかし現実には…どうでしょうか。
学校でも会社でも、自分の心とは裏腹なことを言っていかないと、仲間はずれにされるし浮いてしまう。「うまくやっていく」には相手に合せてときには心にもないことを言わないとやっていけない。そんな感じではないでしょうか。

だから、孔子の言葉は非常に厳しいと思います。
大げさな表現ですが、世の人がみんな正直に言い始めたら、社会は崩壊するのではないでしょうか。もっとも、それで新しい社会ができるかもしれませんが…。

とはいえ、追従ばかりして心にもないことをもっぱら話しているようなコミュニケーションというのは、一方でストレスにもなるものだと思います。人は人の間でしか生きていけないとすれば、そのようなコミュニケーションでは当然相手のことを信用できないでしょうから、かなりストレスになる。信頼されない、信頼できないというのはかなりのストレスで、とてもつらいはず。信用できるというのは、心も体も楽だということでしょう。正直では生きられない。かと言って不正直でも生きられない。難しい存在ですね。人間というのは。

言う、言わぬは別として、自分の感情や考えなどを適確に、正直に言葉で表すことっていうのは、とても勇気の要ることだと思います。だれしも自分自身と向き合うのは怖くもあり、きついことでもありますから。しかし、その作業なくして成長もありえないように思います。

また、孔子の言うように、嘘ではなく本音の言葉が飛び交うような社会でなければ、恒久的な平和はあり得ないでしょうね。大量破壊兵器は存在しないのに、アメリカはイラクを攻撃しました。大量破壊兵器は口実(ウソ)であることが明らかになりつつあります。あの戦争でブッシュ政権とつながる軍需・石油産業が潤ったという指摘もあります。彼らが「俺たちの利益のためだ」と言ったところで、内外の支持は得られません。大義名分が必要でした。個人的にはフセインも支持しませんが、一部の人間の利益のためにイラクという地で何万という人が犠牲になったこと、今も人が斃れ死んでいくことに胸が痛みます。

「八正道」という考え方が仏教にあります。
「苦」を消滅させるための八つの正しい道ということですが、その一つに「正語」というのがあります。ウソや二枚舌、悪口、おべっかなどを言わないという意味のようです。なかなかできることではありませんが、自戒したいと思います。

最後に、友人から「一灯庵ってなに?」という質問がありましたが、所以については次回書きますね~。
【2005/12/01 23:33 】 | 読書日記 | コメント(4) | トラックバック(0) | page top↑
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