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大野晋『日本語の源流を求めて』(岩波新書)
表題の本を読んだ。
大野氏は有名な国語学者である。
昨年逝去された。


先日新聞を整理していたら、大野氏のことが載っていて、買って読んでみた。
大野氏は、日本語文法や言葉について、古代タミル語(インド南部)との共通点に気づき、詳細な検討を加えた結果、日本語のルーツは古代タミル語にあると結論づけた。


さらに、考古学的考証から、「弥生文化」とされている水田耕作や鉄器、弥生式土器などは古代タミル文化から移入された、と結論した。


新書とは言え、詳細かつ微細、そして多数の裏付けを述べており、説得力はあるように感じられた。


しかし、なぜ南インドのタミル人がわざわざ日本にまでやってくる必要があったのか、という点ではまだ説明が弱い。
真珠交易を求めてきたのではないか、と推測されていたが、それにしても、わざわざ大挙して日本にまで来る必要性があまり見えない。
気候変動や大災害があったのだろうか。


このタミル文化源流説は、学界ではあまり重んじられていないらしい。
氏も、新聞で、正しさが証明されるのに「100年かかる」と言われていた。
素人の私がその是非を判断できようもないが、魅力的な説ではある。
DNAの分析でも、日本人は雑種というか、さまざまな民族的混合の上に成り立っているらしいことが分かっている。
実は、非常に国際的な民族だったのではないか。
外来文化に対する柔軟性はつとに指摘されているところだが、そう考えると、その柔軟性は「お家芸」だと言えるだろう。

日本は「和」の国。
さまざまな文化や人間を、柔軟に受け入れられる度量を持った国なのだと解したい。
それがたとえ潜在的なものだったとしても。
日本の神話に見られる「八百万の神」とは、その辺の多様性を受け入れる柔軟性を反映させたものなのかもしれない。
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【2009/05/19 17:37 】 | 歴史 | トラックバック(0) | page top↑
「大化の改新」は修正が必要?
だいぶ前に録画した、飛鳥古墳のNHKのビデオを見た。

最近の研究では、645年の「大化の改新」は、通説をかなり修正する必要があるかもしれない、とのこと。


『日本書紀』では、蘇我入鹿とその父蝦夷は、かなり横暴な人物として描かれているが、後世にだいぶワルモノとして描かれた可能性がある。

蘇我入鹿は、中国の唐帝国の膨張策に対し、かなり気を遣って唐と敵対しないよう外交努力するとともに、国内の防備を強化した。中国の文化も積極的に取り入れようとしていたらしい。中国の史書では、評価の高い人物として描かれている。

ご存じの通り、中大兄皇子と中臣鎌足はそんな蘇我父子を討ち滅ぼすのだが、彼らは、どうも朝鮮半島の百済を支持していたようで、唐と新羅に百済が滅ぼされると、百済の王族などをかくまったりしていたらしい。

つまり、朝鮮・中国政策を巡って、蘇我氏と中大兄皇子らとは対立関係にあったという。それで滅ぼされた可能性がある。


蘇我氏滅亡後、中大兄皇子らは、天皇の権威を高める建造物を作る、などの他はとくに政策らしい政策をやっていなかったそうですね。実は。公地公民制などは、『日本書紀』に、後世に事績として書き加えられたらしいのです。

それどころか、百済復興を目指して唐・新羅に戦いを挑み、惨敗しています(白村江の戦い/663年)。驚きあわてた中大兄皇子は、「天智天皇」として即位し、大唐帝国に対抗する必要性から天皇集権的な政策を推し進めることになった、というのです。

要するに、国際感覚としては、蘇我氏の方が長けていて、中大兄皇子らの方が、白村江の戦いに負けるまで、唐の実力などをよく分かっていなかった(!)


いずれにせよ、その後唐から攻められることはなかったので対外的には事なきを得ましたが、この話は、幕末の開国と明治維新と型が似ているな、と思いました。

外国の実力に直面して、大あわてで国内の整備をする。

同じ島国なのに、なんで英国はあんなに外交に長けているんでしょうかね…?

日本の外交は、第二次世界大戦後はアメリカの腰巾着でしかないように思うのですが。


それと、やはり「公正な歴史」というものはないのだな、と。

「史書」とは言え、だれが編纂するのかという、その立場と状況によって歴史の方向性が定まってくるということですよね。

歴史はやはり、あくまでも自分自身が、いろいろな立場から見た「歴史」を検証していくしかないのでしょう。
【2009/05/02 13:05 】 | 歴史 | トラックバック(0) | page top↑
日本文化の、その昔。
先日、古い新聞を整理していたら、昨年亡くなられた国語学者の大野晋さんの記事が出てきました。

大野さんの説によれば、日本語の起源は南インドの言葉、タミル語に遡るのだとか。

タミル語との相関関係や、タミル人の伝統的風習と日本のそれとに多くの相関関係があるのだそうです。


もしそうだとすると、南インドに住んでいた?あるいはその文化圏にいた人が、はるか日本にまでたどり着き、日本に住み着き、文化を作る礎となったということになりますね。超古代史?になるのでしょうか。


昨日、『日本の朝鮮文化』という座談会の内容をまとめた本を読み終えたのですが、その中で、山上憶良の父は朝鮮からの渡来人で、憶良も当地で生まれ、幼いときに戦乱を避けて日本に来たのだとか。


それが事実だとすると、この列島には古来数々の来訪者があり、それぞれが文化の一翼を担っていったのだ、ということになりますよね。


日本文化の柔軟性、みたいなものはその辺りから起源があるのでしょうか。
【2009/05/01 13:00 】 | 歴史 | トラックバック(0) | page top↑
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