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Going, your way
やれること、やれないことがある。


できる時、できない時がある。


できる時に、やれることをやっていれば、それで十分。


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【2009/12/27 01:10 】 | | トラックバック(0) | page top↑
ありがとう。
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私もあなたも、いつの日か必ずこの世をオサラバするのですね。


それは明日太陽が昇ってくる、ということと同じくらい確実なことなのですね。


そして、いつあの世に召されるのか、分からずに生きているのですね。


でもいつか必ず、召される日が来るのですね。


ならば、悔いなく一日一日を過ごしていきたいです。


今日やれることをやって、人に優しくして、素直になって、感謝して生きていきたいです。


悔いなく生きていこうと思ったら、そうやって生きていくしかないように思います。


「死ぬ」ということを考えると、そうやって生きていく力が与えられる気がします。


「死ぬ」ということを忘れずに生きていこうと思います。


僭越ですが、お釈迦さんが最後の旅で「この世は美しい」と遺された言葉の意味が、少し分かるように思えてきました。


ありがとうございます。


その言葉しかありません。

【2009/10/29 22:33 】 | | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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雲一つない、冷たい秋の空に

くっきりと、一輪の満月が浮かんでいる

暗闇に暮れる街角は

青白い光に照らされる


月が、崖上の家の後ろに隠れる

一瞬、月の光は見えなくなる

それでも私は知っている、

しばらく歩けばまた月が姿を現すことを


月は、どこまでもついてくる

また、家の陰に月が隠れる

それでも私は疑わない、

また月の青白い光が私を照らしてくれることを


昼の強い日の光に比べて

夜の月の光はおだやかでやさしい

それは、闇夜を美しく照らし

静寂の中で智慧と希望を与えてくれる


月は、見えない日があったとしても

必ずそこにいて見守ってくれている

そして浮かぶ今日の月は

欠けることなく、一輪の光

【2008/11/13 23:05 】 | | トラックバック(0) | page top↑
2012年になにかが起こる? <その3>
最近、興味深い本を読んだ。ゲリー・ボーネル/高橋克彦著『5次元世界はこうなる-アカシック地球リーディング-』という本である。徳間書店の「5次元文庫」に収められている。



内容としては、対談形式で、「アカシック・レコード」を自在に読み取ることのできるボーネルが、高橋克彦の質問に答えるのだが、ここに2012年のことが書かれている。いわゆる「アセンション」である。



ボーネルによれば、このとき、人間の想念がそのまま物質化(現実化)して可視化する世界に移行していく。そのため、精神に錯乱を起こす者も出てくるという。それはそうだろう。次元上昇(アセンション)すれば、そんなことも起こってくるというのはあり得る話だ。なぜなら、霊界と言われる精神世界はそのような世界であるということだし、アセンションはその世界に近づくことなのだから。



それゆえ、ボーネルは葛藤を解消しておくことが肝心だという。なぜなら、葛藤を抱えたまま次元上昇した世界に移行すると、自分の葛藤を目の当たりにすることになるから。地獄に直面するということなのだろう。心の世界=現実世界。葛藤、すなわち心の内戦状態が現実世界となり、それが「真実」として本人には認識される。それは苦しい世界だろう。



中丸薫氏は、アセンションに関する別の著書の中で、アセンションに備えて心を浄化しておくことの必要性を説いている。それは、つまり煩悩にとらわれない、平和な心の世界にしておくことの必要性を説いておられるのだろう。ボーネルの言っていることと本質的には同じだと感じた。



さて、ボーネルは宇宙の叡智である「アカシック・レコード」には誰でもアクセスできるという。たとえば、朝のまどろみの中で、アカシック・レコードに質問すると帰ってくるという。あるとき私も試してみた。すると、N・D・ウォルシュの『神へ帰る』という著書に似た表紙がイメージに浮かんできた。その名も『神に帰る』。イメージの中では地球の写真があり、南半球?に黒い陰りがあった。ちなみに氏の著書には地球の写真はあるが、それとは違っている。



そのイメージを見て、なるほど、アセンションというには「神に帰る」ことなのか、と納得した。あの黒い
影は、地球の浄化される悪、すなわち影なのかな、と。



先日、たまたま翻訳家の山川紘矢氏の話を聞く機会があり、そこでアセンションについて氏の考えをお尋ねする機会があった。すると、氏は「enligtmentすること」とお答え下さった。仏教の言葉では「悟り」ということになるのだろう。それは、私の解釈では、すべてを肯定すること。受け入れること。ありのままでいいのだと思えること。そこには「死」も「悪」もない。もっと言えば「生」も「善」もない。相対的な認識の世界を超えた絶対的な肯定の世界。



それはあまりにも隔絶した世界のように思えるが、そうではない。日常の小さな積み重ね、小さな発見、小さな平和。そこにあると言えるのかもしれない。気づき、受け入れること。そういうことなのかもしれない。



いずれにせよ、「2012年」に関する話には、ある一つの明確な方向性がある。各人の諸説がそこに向かって流れ込んでいるようにも思える。江原啓之氏は、メッセンジャーとしては一番人口に膾炙しているといえるが、氏の考えをまじめに実践する人が世の中に増えていくと、確実に娑婆世界はそのまま寂光土、すなわち天国になることは間違いない。



今、江原氏以外のメッセンジャーの著書が続々と巷間に溢れている。一方で、甚大な自然災害の被害も近年増えているように思う。「メメント・モリ(死を想え)」ではないが、人類の精神レベルの向上が喫緊の課題となっているし、またそのチャンスにもなっていることは間違いない。
【2008/05/12 23:04 】 | | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
桜の花によせて
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日付の変わる頃、その公園には人はいない
白い電灯に八分咲きの桜の木が浮かぶ
花の下で見上げると
かすかな風に枝をゆっくり揺らせ
静かに、静かに咲いていた
あと幾日もなく散っていく
その運命を受け入れながら



朝の、人々が忙しく行き交う道で
青く高い空に桜の花が冴えている
足を止め、時が止まる
凛として微動だにしない
けな気に、しかし強く咲いていた
あと幾日もなく散っていく
その運命に抗うことなく



桜は毎年花を咲かせ
そして私は毎年嘆息する
その心は変わらないが
感じるものはわずかに変わる
私も桜も
縁あってともに生きているものなのだから
友よ、美しき友よ
これからもともに生きていこう
【2008/03/28 12:11 】 | | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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